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猛省

 投稿者:管理人  投稿日:2006年 9月 5日(火)03時43分31秒
返信・引用
  今回の我がアシスタントから、仕事中の写真をもらった。
何だこりゃ!
完全に現場から3歩引いてんじゃん!

最近、というかここ2年ほど、この仕事を続けるにあたって
一体誰に一番喜んでもらえばいいのだろう、みたいなしょーもない悩みを
自分の中でずーっと禅問答のように繰り返す僕がいる。
もちろん職種的に言えば、その答えは一つ、
『視聴者』っていう選択肢しかないんだけれども、
こまごまと実にならないちっぽけな苦労と辛酸を重ねるに連れて
本当にそれだけでいいの?みたいな疑問が湧き出て止まらない。

今やってる番組が特にそうなんだけど
地方の、本当に純粋で気のいい方々に色んな協力を依頼する。
包み隠さず言えば、その人たちの仕事や生活を邪魔してまでも
ウチのためにこんなものを用意してください、
こんな事をしゃべってください、なんてお願いを無理やり押し付けるのだ。

もちろん最大限に気は配ってるつもり。他のどんなディレクター連中よりも。
でも、それって結局、僕だけは違う!とか、自分は全てに気を使っている!みたいな
自己満足の範疇で妥協してはいなかったか?
例えば、体調が良くないのに無理を押して現場に出てきてくれたおばあちゃんに、
そこで優しい言葉をかけていたわるよりも、
撮影前の時点からもっともっと気を使ってあげられなかったのか?

僕が一番礼節を尽くさねばならない対象はそこじゃなかったのか?

どうせ先達にそんな事を相談したって
何いいひとぶってんだよ、他にやることあんだろ、なんて
渇を入れられる一方だし、それが正しい事も重々承知なんだけど
どうも腑に落ちないと言うか釈然としない何かがわだかまる。
そもそもそう思うこと自体が、僕のおごりそのものの裏返しじゃないのか!?

何が言いたいかというと、いっちばん自分が体張って
前に出なきゃいけない瞬間に、何なんだこの引きっぷりは!
腕組む前にカメラ前に出ろよ俺!いやそこまで出ると見切れてしまうが。

まあこの時に限っては、去り往く後輩にちょっとした華を持たせたいとの一心で
敢えて引いてたんだけど、それにしても。下向いてるよ。便所で1人で悩んでろ!

写真は人の心まで写すとか言うけれど、これぞまさしくそれだ。
スナップ一枚でこんな姿なんだから、人から見た自分って
もっとみっともないんだろうな。
嘘でも人を引っ張っていかなきゃいけない仕事なんだから
もうちょっと自分の見せ方から考え直さなきゃ。

あー酒がまずい。まだオフライン終わってないのに。
 
 

ごめんね

 投稿者:管理人  投稿日:2006年 6月15日(木)02時48分50秒
返信・引用
  この5年間、絶対忘れることはなかったのに
今年は本気で覚えてなかった。ごめん。本当にごめん。
でも、それだけ呪縛から解放されたという事なのだろうか?
誰もが通り過ぎる道。気にすることはないのかもしれない。

三郎さん、68歳の誕生日、おめでとう。
 

猛省

 投稿者:  投稿日:2006年 5月31日(水)09時26分25秒
返信・引用
  取り乱しすぎた。
悩んでるのは僕だけじゃない。
今を懸命に生きなければ。
 

無念

 投稿者:  投稿日:2006年 5月31日(水)09時01分23秒
返信・引用
  思い起こせば十数年前、高校で硬式テニスにどっぷりだった。
遮二無二ラケットを振り、水平移動に明け暮れ、コートを走り回った。
だからって別にうまかったわけでもなく、試合で勝ち進んだ試しもない。
もっと言えば、テニスをそんなに好きなワケでもなかった。
では何故卒業まで続けられたかというと、
女子テニス部に粒よりの可愛い子がいっぱいいたからさ。

そんな僕のはりぼて根性を、顧問の先生はあっさり見抜いて
ある日いきなり後輩のトレーニング担当を押し付けられた。
まー新入部員と一緒に性根を叩き直せって事だろう。
その日から初々しい少年たちを率いて、僕は毎日校舎の周りを
走り込み、
腹筋だの背筋だの空気イスだの、キャラ違反も甚だしいビルトアップを
ひたすら繰り返す羽目になった。

そんな自分を痛めつける日々を送るうち、
僕は次第に運動の悦びに目覚めて(ドM気質の発祥かも)
ついでにテニス自体を楽しく感じるようになってきた。
まっいつものランニングコースで、大好きだった女子剣道部員が
いっつも竹刀振ってたからってのもあるんだけど。
おかげで心臓が弱いとかアレルギーだとか虚弱体質だった僕も、
いつしかいっぱしの体力を身に着けて、おまけに試合でも
1回戦くらいは勝ち進めるようになった。
…勝ったんだっけ?よく覚えてないや。まあいいか。

何気に、今の僕を支える基本的な部分を培ってくれたのが
テニス部の顧問の先生だったワケだ。

先日の同窓会で、顧問の先生の姿は見えなかった。
僕らの学年で担任を持っていたわけでもないので、
そこにいなくても全く不思議はないけど妙な胸騒ぎを覚えた僕は、
東京に戻ってから当時の仲間にメールで聞いてみた。
何と数年前に、壮絶な闘病生活の末に逝去されていたのだ。
まだ若かったはず。ガンだとか。

聞けば、僕が上京してAD生活でドタバタしているころ、
故郷ではテニス部のOB会が幾度も開かれ、
その中で先生の病状も知らされていたらしい。
ついさっきまで、懐かしい面々との再会で浮かれていたというのに。
僕はなんて大バカなんだ。

家にいるとどうかなりそうなので、柄でもないけど海でも見に行こうと
久々に車に近寄ると、ドアノブにヤモリ。何だよこんな時に。
こいつじっと見つめてやがる。文句あんのかよ。
結局20分くらいヤモリと対峙した後、車に乗り込んでみると
バッテリーが上がって動きゃしない。もうアメ車やだ…
今夜はお前さんが飲み友達だよ、なんて呟いて
缶ビール取りに戻ったら、もういなかった。だー!!
今夜くらい付き合ってくれよ!!

いつも来てくださっている方、すみません。フリもオチもない暗い話で。
でも自分の足跡として書かずにおれんかったのです。
今日だけは勘弁してください。
ひどい話なのでレスもつけにくいと思います。大丈夫です。
今夜はとにかく飲んで潰れます。明日は元気です。
美濃出先生ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。合掌。




以上、mixiから避難させたログ。
8月にテニス部のOB会があるらしい。
何をどうしても参加せねば。
 

七回忌終わって

 投稿者:  投稿日:2006年 2月20日(月)00時26分50秒
返信・引用
  …とか何とか、感傷的な『亡き父へのメッセージ』板へと
化していたこの掲示板。
元来は、志一つにした若者たちが(オッサンもいたが)集い、
明日を夢見て、しゃにむに働く中の愚痴が飛び交っていた事を
誰が知るだろうか?

最後の書き込みから数年(現在2006年)。
どうにか自家用車を持つまでに至った。しかも外車だ。
もちろん中古、個人売買で総額15万円…

でも、少しずつ、我が最愛の友人への一方通行な約束は
実現の方向へと向っている。自身でその大きな手応えを感じている。

今でも、目を覆うかのような失態は日々数え知れないが、
しかしこれだけは胸を張っていえる。
この10年間、うがる事なく実直に生きてきた僕の成果だ。例えポンコツでもアメ車だ。
何より、実家に乗って帰るたびに、我が母がこの上なく喜ぶ。ただ単に『外車』というだけで。

父さん、僕は東京に出てきて、良かったと思う。
 

ありがとう そしてさようなら(下)

 投稿者:  投稿日:2004年 6月26日(土)23時20分32秒
返信・引用
  目を転じれば今、どのメディア上でもミツ●シは
自動車界の諸悪の根源の如き叱咤を受け続けている。
何でも聞くには、貨物用途のトラックのみならず、我々のような一般庶民が
なけなしを叩いて購入したであろう自家用乗用車にまでも
欠陥隠しを続けていた事実が明らかになり、
しかもそのおかげで命を落としてしまった人まで存在するという。

父親が存命中、確かにこのメーカーの製品には
リコール以外の欠陥が多すぎて、ウラで対策を施すのが大変だとこぼしていた。
その時は何の気にもとめてはいなかった僕だが、思い返せば事実、
10数年前にウチのディーラーで当時流行りのRV車を買った隣人が、
一週間後に我が家にものすごい剣幕で怒鳴り込んできた記憶がある。
なんでも高速を走行中に、タイヤが脱落したという!

その恐るべき事故の原因は、所有車が規格外のホイールを装着していたためだったらしい、と父親から聞いた。
父親はしばらく、笑顔を見せることもなく、
そしてその件が響いたかどうかは知る由もないが、
何となく気まずくなった隣人も、やがて転居していった。
日本が世界に誇る企業の、超優良車種に荷物を詰め込んで。

今にして何となくわかった事だが、
これまで我が父が数年で急速に弱っちくなってしまった理由が、
「家族との不和」「対人関係を築き難い個人の性格」
「“唯一の友人”として存在していた息子が離れたための精神バランスの崩壊(考えすぎ?)」
のような、非常に内的な部分から発生したものと考えてきたが、
実のところは業務上のストレスも彼を追い詰めた『諸悪の根源』として
大きなモノを占めていたのではないだろうか?

後から聞いた話では、我が父は名目上は経理関係の職務に就いてはいたが
かつては名うての技術屋として鳴らした事もあっただけに
修理や顧客クレーム関連の細かい指示に携わっていた期間もあるという。
もちろん今ほどかの企業が叩かれてはいなかった頃の話ではある。
しかし地域柄、『1で済む事を100にして叩きつける』ような、
はたまた手形で高級車を買っていくようなヤ●●まがいの人間が
顧客にやたらと多かったのもこれまた事実。

そんな環境で、しかも最初から壊れやすいとわかっている商品を売りさばき
同時に日々舞い込む怒号に頭を下げ、
安全点検キャンペーンと称して欠陥部品をこっそり対策品にすり替えて、
その暴利を利益計上して御大へ献上する末端小売業…
まともな神経では1年と持つまい。

実際、浮かぬ顔をして帰宅した父はビールをたしなみながら、
「クルマはト●タが一番だぞー。お父さん、ほんとにセ●シオ欲しいなぁー!」
とトチ狂ったような叫びとともに荒れていた記憶がある。
もちろん、黒塗りの高級車を手にした後の発言だ。

彼が必死の思いで手にしたその黒塗りも、
僕が愛した棺おけも、実のところは長い時間をかけて
欠陥を穴埋めした『対処品』だったのだろうか?

だからこそ、最初の車を薦めてくれた時も、
当時出たばかりのスポーツタイプに羨望の眼を注ぐ僕を抑えて
「新車よりも、初めてだから中古でいいのでは?」
と、信頼の置けるメカニックがいじり倒した物件をあてがったのだろうか?
今となっては、その総てを知る術はないし、知ろうとも思わない。

ヒトひとりだって、より良く変わろうと思いはするが
都合よく変身できるものではない。
ましてや個が多く集まる企業体で、ていの良いスローガンを無数に乱発してみても
そうそう風向きがよくなるとは決して思えない。

かつて、そのクルマにどれだけ愛着があったとしても、
メーカーにどれだけの個人的な思いが募っていたとしても、
日々明らかにされる真実と、かつて垣間見たもう一つの真実を前にすれば
僕はもう二度と、あそこの商品には手をつけることはできないだろう。



かなり前、クルマ好きだった父はこんな言葉も漏らしていた。

「イギリスのあのクルマかドイツの高級車にいつか乗ってみたいなぁ」

その一説を思い出した時から、僕の目標が少しばかり修正された。
そして同時に、新たな到達点は以前のそれよりもかなり遠い…
 

ありがとう そしてさようなら(上)

 投稿者:  投稿日:2004年 6月26日(土)23時19分18秒
返信・引用
  気が付けばスカブも走行6700㌔。
この数千㌔の間、私事で色々あって、長期に渡ってここを放置していたが
先日たしろ嬢のひとことがきっかけで、何となく復活。
ヒマな時にでもその時々の想いを連ねてみることに。

今もっともマスメディアを賑わせている企業、ミツ●シ。
実は自分が過去に所有した2台の自動車は、ここの製品だった。
理由は単純、父親がこの極悪企業のディーラー勤めだったから。それだけ。

茫漠たる学生生活を終え、バブルが弾けた直後の不況渦巻く社会へ放り出され
日々何を追い求めていけば良いのかさえもわからずに悶々と過ごしていた10余年前、
ふと父親が声をかけた。「そろそろクルマでもどうだ?」
親から見れば、何が理由かまではわからずとも、
それまで奔放に遊び呆けていたバカ息子が見るからに意気消沈していたのを
放っては置けなかったのだろう。
ちょうどいい按配にディーラー社員が買い換えるという話が舞い込み、
中古卸値で成約。白い軽自動車だった。

軽とは言ってもスポーツ仕様。しかも前オーナーがメカニックだったため各所に手が加えてあり
ひと踏みすればあっという間に法廷速度を振り切ってしまうという、
まさに自殺志願者向けの大バカミニカーだった。

このエアバッグさえついてない小さな棺おけで、僕はしこたま走り回った。
海から山からナンパまで、しまいにはルートセールスさえもこれでこなした。
学生時代の悪友と共に峠をちょこまか走り、
お約束どおりに竹林へ勢い良く刺さったりもした。
地域の隅から隅まで乗り倒し、そして上京と共に手放したが
その時は目の前に広がるはずの明るい未来に酔いつぶれ、何の郷愁も抱かなかった。

数年後父親がガンに倒れ、病室を訪れた際に
彼は弱った声を絞って窓の外を指差した。

「あそこに停まってるクルマがお前の乗ってたのと同じなんだよ。
 見るたびに、お前がドアを開けて入ってこないかなぁなんて思ってね」

指の向こうにぽつねんと佇む白い棺おけを目にした時、
僕は初めて、半分喧嘩腰で親元を離れた事を少しだけ悔いた。

あのまま地元にしがみついていても、当時のふがいない僕にとっては
上昇志向のかけらも見出せなかったとは思うが、
東京でこんな仕事に就いているからってだけの理由で
日々弱っていく家族に電話の一本さえよこさなかった僕の身勝手が
うらめしく、もどかしかった。

間もなく父親は逝き、彼が晩年愛した車を引き継ぐことになった。
前車とはうってかわって3ナンバー、3リッターの大型車。
家族とのコミュニケーションが苦手だった反動からだろうか、
彼の物言わぬ相棒でもあった黒塗りの高級車は手入れは万全。
主を失い寂しそうなそのクルマのハンドルを握り、
父が好きだったCD-R(原盤は本人と一緒に葬った)を挿し込んで
あてもなくさまよい続けた。

だが結局は、当時の僕の少ない稼ぎでは
東京で車を維持することは出来なかったため、半年後に泣く泣く処分した。
そしてその時、僕に一つの目標が定まった。

「いつか、白い棺おけと黒塗りの高級車を買い戻してやる」

その時から、僕はしゃにむに働きつづけた。
だが、運悪く所属会社の解散、心無い人々の策謀などチンケな悪に翻弄されつづけ、
そして何より僕自身の努力不足がたたってか、
情けないことに僕は未だにその目標のひとかけらさえも手にすることができていない。
 

さよならFERC

 投稿者:  投稿日:2004年 2月 8日(日)02時53分22秒
返信・引用
  営業用に過去作品を繋いでた最中、
我が経歴中の最高傑作「暴走列車を止めろ!」を再見す。

今さらながら、よくもこんな無茶をしたものである。
予算大幅オーバー、番組の主旨を完全無視。
科学的検証も未知の解明もなく、そこにあるのはただ、
暴走・爆発・一触即発・愛・決断そして勇気のみ。

…いーんだよ!
数字が芳しくなくても、アクション繋ぎが甘くても、
同じカットをリフレインしすぎでも、
無線機は実際に使われたものを!とか
列車を追跡するトラックも同型の同年式車種を選んだとか
通常は映画の仕事に従事するスタッフを現地で招集したとか
ついでにヘリまで映画用のを頼んじゃったとか
州警察の全面協力を得てショットガンもパトカーも、ましてや警官までがモノホンとか
乗務員の安全眼鏡までCSX社(実際暴走した鉄道の会社)の純正品だとか…
そこまでして本物にこだわってみた、
言い換えれば、あの強行スケジュールでテレビの限界に挑戦して
ものの見事に成功した究極の会心作だとか、
そんなコト誰もわかってくれなくても、いーんだよ!
俺は、やりたい事を、やったんだ!!
そして、見てくれた人は、感動してくれたんだ!!

この気持ちを忘れずに、
一瞬でもいいから、
テレビと言う不特定多数の目に触れ、
同時に瞬時に忘れ去られてしまうはかないメディアの中で、
見てくれた人が少しでも、
本当に少しでいいから、
何か気付きや、感動や、満足を得る事ができるような作品を
これからも作りつづけていくことができたなら、
僕の人生には悔いるべきものは微塵もないはず…!!

いまわの際にそんなカッコいい文句の一つでもぶっちゃけて、
思い残す事なく土に返れるように、
これからも頑張っていこう。

そんなうがったコトをふと考えたひと時であった。
 

ヽ( ・∀・)ノ ウンコー

 投稿者:  投稿日:2003年12月21日(日)04時14分50秒
返信・引用
  気が付けば1500㌔超。
余りに忙しくODOを見直すヒマもない。
それでもじっと手を見つめる日々。是人生。
 

ヽ( ・∀・)ノ ウンコー

 投稿者:  投稿日:2003年11月18日(火)06時10分25秒
返信・引用
  気が付けば555㌔!
寝る暇がない。でもやせない。
 

ヽ( ・∀・)ノ ウンコー

 投稿者:  投稿日:2003年11月14日(金)07時48分8秒
返信・引用
  シートにタン吐いたヤツ誰じゃい!  

ヽ( ・∀・)ノ ウンコー

 投稿者:  投稿日:2003年11月11日(火)03時02分28秒
返信・引用
  走行350㌔ちょい。今日も雨。納車した途端ずっと雨。
ODAの一環で、バイクごと干ばつ地帯に送り届けてくれたら
私はどんなに役に立つ事だろうか。
 

ヽ( ・∀・)ノ ウンコー

 投稿者:  投稿日:2003年11月10日(月)06時52分0秒
返信・引用
  また雨。なんかすごい。  

ヽ( ・∀・)ノ ウンコー

 投稿者:  投稿日:2003年11月 9日(日)05時37分23秒
返信・引用
  走行300㌔!33歳!
連続徹夜で台本打ってたら誕生日過ぎてた!
祝ってくれたの母と姉だけ!
しかも母、誕生日間違えてるし!
とーちゃーん!・゜・(ノД‘)・゜・。
 

ヽ( ・∀・)ノ ウンコー

 投稿者:  投稿日:2003年11月 6日(木)05時57分48秒
返信・引用
  走行194㌔、200至らず。おしい。
念入りにプレクサスで磨いた途端に雨。
昔から、バイクいじった後とか遊びで乗ったりすると必ず降る。
芸というか既に神の領域。唯一無二。
この能力を是非とも世のために役立てたいものだ。うそ。
 

ヽ( ・∀・)ノ ウンコー

 投稿者:  投稿日:2003年11月 5日(水)04時16分8秒
返信・引用
  走行164㌔。益々快調。
出勤前にNAPS世田谷店にてメッキブレースバー購入(\3800)、装着。
流行に乗じてハーディーHIGHとか装着しようかなとか考えてたけど、
Sのノーマルハンドルでもブレースまでメッキで統一すりゃかなりいい感じ。ラッキー!
でもスモークテールレンズカバーは取り寄せ。マジェのはいっぱいストックあるのに・・・
やっぱりスカブはマイナーなのねー( ´Д⊂
 

ヽ( ・∀・)ノ ウンコー

 投稿者:  投稿日:2003年11月 4日(火)02時27分15秒
返信・引用
  本日までの走行距離ちょうど100㌔。慣らし快調。
さすがに400と比べれば発進時など非力さを感じるが、新エンジンはFI装備だけに
慣らし回転数4000rpm/h以下でも意外なほどに良く走る。少なくともマジェよりは。
そして足回り(特にホイール形状)変更のせいか切り返しが軽い。この軽快感はちょっと驚き。
出だしのトルクが薄い分まったり走行がお似合い。でも吹かせばそこそこ伸びそう。
旧型と比べて非常に「使い易い」乗り物に生まれ変わったみたいで大満足。
しかも実車は写真で見るよりもストック状態で充分カッコいいし、
車検はないしパーツもいっぱい出てるし収納増えたし…無理して買ってよかった。
問題は、次の給料日まで残り7万円そこそこでどう生きていくか。酒を控えるべきか。
ちょうどタイミングよく、激務の小ネタ担当が回ってきそうだし、
ドタバタやってるうちに師走に突入しそうな勢いだからあんまり心配してないけど。
どーせ制作に入ったら、ロケ弁&出前でメシはタダ!(゚д゚)ウマー

 

ウンコーヽ(・∀・)人(・∀・)ノ

 投稿者:  投稿日:2003年11月 3日(月)00時30分25秒
返信・引用
  納車!なぜか色は真っ黒。でもカッコいいからヽ( ・∀・)ノ ウンコー  

ヽ( ・∀・)ノ ウンコー

 投稿者:  投稿日:2003年11月 1日(土)01時45分1秒
返信・引用
  OP小ネタ担当指名!
チャンスキタ━━(゚∀゚)━( ゚∀)━(  ゚)━(  )━(  )━(゚  )━(∀゚ )━(゚∀゚)━━!!!!!
 

ヽ( ・∀・)ノ ウンコー

 投稿者:  投稿日:2003年10月31日(金)05時36分18秒
返信・引用
  新車の頭金で仕送り減額。
我が身の限界をつくづく思い知る秋の夜長。
 

ヽ( ・∀・)ノ ウンコー

 投稿者:  投稿日:2003年10月29日(水)02時30分56秒
返信・引用
  チーム制っていいなぁ。
今まで茫漠とした不安だけにさいなまれてロクな仕事もできなかった自分が、
メンバーの生活を背負って立たなきゃいけないんだもんな。
他人の意見とかばっか気にしてウジウジしてる暇なんかないし。
逆に我がチームがガツガツ実績上げて他人に文句言わせなきゃいいんだもんな。
遅ればせの責任感だけど、何かハリができていいなぁ。
明日もがんばろう。
 

ウンコーヽ(・∀・)人(・∀・)ノ●

 投稿者:  投稿日:2003年10月26日(日)17時19分18秒
返信・引用
  一発廃車。わずか2年半と言う短い命。
ごめんよスカイウェイブ400(BC-CK42A)。心底君を愛していたよ。
そのドン臭いスタイルも、冬にはなかなか火が入らないエンジンも、
すぐ効かなくなるブレーキも、ムダにゴージャスなアルミホイールも…
ろくな乗り方しなくて、めったに洗車もせずに、素人カスタムで調子が狂っても
それでも頑張って走り続けてくれた我が愛機スカブ、本当にありがとう。そしてさようなら。
数々の美しい、そして取り戻せない想い出とともに…

そして来週末に納車される新型スカイウェイブ250タイプS(BA-CJ43A)!
そのまばゆいばかりの光を放つキャンディブルーの美しい体躯!
エンジン、スタイル、機能全てが進化した先進技術の粋!
完全にヤケクソでローン地獄覚悟で成約したんだ、せいぜい働いてもらうぞ。
酒かタバコやめなきゃなー。
 

ヽ( ・∀・)ノ ウンコー

 投稿者:  投稿日:2003年10月26日(日)13時22分33秒
返信・引用
  我が愛機スカブー、新宿にて轟沈す。廃車?
無念の余りA嬢発案タイトルを冠に暫定復帰。
只々徒に失意の日々を書き綴るのみ。
 

ホーロリ

 投稿者:   投稿日:2002年11月25日(月)04時07分59秒
返信・引用
  母からの携帯メール末尾に「愛する息子え」。
誤字はともかく、あの母がこんな台詞を使うなんて。
電車でこっそり放屁したつもりがプチ脱糞状態だったり、
幾度指摘しても冷蔵「子」と書いてしまったりする、あの母が。
気になって問うとまたメール。
「やっぱ、ぐうっと来たあ、最期にいれる言葉が無くて
追本音がホロリ、ホーロホーロリ。と言うわけよ。」

最近の(さいきんと打つと必ず「細菌」と出るのが悔しい)
職場のゴタゴタが不安だったらしく、先日滞ってた仕送りを振り込んだら
「けして、無理しないで自分の生活を一番にそうでないと胸が痛むヨ」とメール。
「大丈夫。何も心配しないで、まずは句読点を覚えてください」と返信した後に、
例の「愛する息子え」が…

微妙な誤字と寅さんぽい言い回しが気になるが、こちらも思わずホーロリ。
こんな歳になっても孝行できずにごめんよ。
盆に会えなかった分、正月はちゃんと帰るから。
 

二人だけのダイアリー

 投稿者:←パクリかよ  投稿日:2002年11月 9日(土)14時50分27秒
返信・引用
  最近、2年前まで使っていたノートPCのHDDが完全に吹っ飛んだ。
既に代替機は存在していたため、一切のトラブルは発生しない。
でもその中に一つだけ、消えた事が悔やまれるデータがあった。

もともとその旧型は、親父が使っていたマシン。
ヤツは晩年床から動けなくなると、外界との接触はEメールのみ。
当然ムスコの僕にも(っていうか僕以外いなかったかも…)、
朝晩問わずひっきりなしのメール攻撃が携帯に届く。

最初のうちは
「仕事は大丈夫か?」
「俺ももう長くないからしっかりしろ!」なんて虚勢見え見え。
だが時がたつに連れ、その文面は徐々に悲痛の叫びへと変わる。

「元気ですか?」
「電話してください」
「ひとりは嫌だ」
「死にたくないよ」
「怖いよ」
「おまえに会いたいよ」

果たしてこれが、父親から愚息へのメッセージか?
かつて筋骨隆々の肢体をなびかせ、
僕を地の果てまでも弾き飛ばした、あの威厳高き父親の姿なのか!?

病室へ駆け込んだときには既に人事不省。
大声で叫んでも、本人に聞こえてるかどうかは判断つかない状況。

ぼんやり空を切る瞳には、力なく涙がよどんでいる。
そりゃそうだろう。もう瞬きもできないんだから、
涙くらい多めに分泌しておかないと眼球が乾いてしまう。

母も姉も、疲れきったというよりはどこか安堵の表情。
その表情こそ、闘病生活の真実だろう。
僕が到着して間もなく、腹減ったとかなんとか言いながら
近所のコンビニへ買出しにいってしまった。

「おとーさーん!ボクな、こんど映画とるねんでー!!」

何故かそんな大嘘を耳元で叫んでしまった。

当時僕の会社は解散の憂き目に会い、冗談抜きでお先真っ暗。
逆に大きく出とかんと、親父も心配で化けて出てしまうやろ、
なんてビビリが少々出てしまったのかも知れない。

そのとき親父の眉毛が、大きく動いた。
にごった瞳を大きく見開き、酸素マスクに覆われた口元は
「おー、そうかー、すごいなー」とか言い出しそうな勢い。

看護婦の手違いだか不手際だかで、心電図が止まったのはそれから数分後。
万一のために持参した安物の略礼服が、早速役に立ってしまった。

その後、小さなパソコンを東京に持ち帰り、
大事に大事に使い倒してきた。
中には、親父の残した悲哀溢れるログの数々。

保存はしてあるものの、読むきっかけがもてない。
余りに惨めな文章だけに、目を通すたび
全てが悲しみに包まれてしまうのだ。
結局ろくに見返す事もなく時は過ぎ、
気が付いたら、すべてが消えていた。

残念ではあったが、不思議な事に妙な安堵感も覚えた。
なぜだろう…?

その後、実家から小包。
たまねぎやら佃煮やら粗品の石鹸やら、
いかにも実家からの心遣い丸出しという荷物の中に、
なぜか親父が晩年愛用していたメモ帳が。

パソコンも打てなくなる程体力が衰えてからは、
万年筆で日々のうつろいを記録し続けたらしい。
母親が「持っててもうざったいから」という理由で同封したようだ。
(本当のところは、手元にあると辛いんだろう)

内容は、失われたメールログとさほど変わりはない。
だが、確実に何かが違う。
幾度も繰り返し読みたくなる。
なんだこれは?

日に日に弱々しくなる筆圧。
その中に垣間見せる、恐るべきユーモア。
そして絶望。

僕のような若輩がどう楯突いてもかなわないほどの豊かなボキャブラリー。
ぎりぎりのウィットに富んだ言い回し、さらには確かな構成。

今まで仕事でも駄文を書き連ねてきた自分が
本当に恥ずかしくなるほどの迫力!!

親父の叫びの断片は、消えるどころか
小さなメモ帳の上でいっそう鮮やかに浮かび上がっていたのだ。

やはり、紙と万年筆で育った世代という事もあるのだろう。
キーボードを叩くと、思わずその時の一番高ぶった感情を
さほど思案する事なく入力してしまうようだ。
かたや、ペンを使ってモノを書き連ねると、誰しもそれなりに内容を吟味する。
消しゴムも使えず、UNDOも効かない万年筆ならなおさらの事。
結果として、後々幾度も見返す事ができるのは後者であった。

親父も決して、後世語り継がれるような
闘病記を残したかったわけではあるまい。
ただ単に、自らの生の軌跡を残しておきたかったのだろう。
しかしどうせなら、せめて息子くらいには読み継がれるものとして…
なんて色気がよぎったのかも。

仕事にも恋愛にも、すべてに疲れきった僕に
小さなつぼの中で、単なる炭酸カルシウムの塊と化したはずのクソ親父は、
たどたどしい筆跡で未だに叱咤を重ねつづける。
そのおかげで、今でも何とか歩きつづける事ができるんだけど。

既に無用の長物と化したポンコツPCも、捨てずに手元に置いておくつもり。
そして辛いときこそ、涙覚悟で小さなメモ帳を開くことにしている。
そのたび酒量が増し、あくる日に大きく支障が出ちまうけど…

ダメじゃん。
 

ほんとにやめちゃった

 投稿者:管理人@久々に長文だ  投稿日:2002年 2月24日(日)06時06分35秒
返信・引用
  特にやめる理由もなかったタバコ。
禁煙のメリットなんて当に承知。番組でもやってるし。
でも何となくやめちゃった。
いやぁ正直言うと経済的な事情も絡んでるんだけど。

で、やめたらやめたで、「こんなもんか…」。
別に体調が激変するでもなく、お金が急に貯まるわけでもなく。
舌苔が消えたとか、部屋や頭が臭くなくなったとか
スタバに長居できるとか、実感なんてそんなところ。
実際「うまい」と感じることも多々あったし
別に吸っても吸わなくても変わらないんじゃないか…

で、「何故吸っていたか」を考えてみた。
すると意外なことに、親父の姿が浮かんで来たのである。

確かに親父は昔からタバコのみだった。
幼き思い出の中に残るのはロングピースとセブンスター。
私が最初に口にしたのも黄色い箱のロンピーだった(吐いたけど)。
だが、僕が東京に出てからは、帰省で会うたびにタバコの銘柄が変わっていった。
ピースライトにスーパーライト、キャスターの3ミリのやつ、最後はキャスター1。
あれでも体に気を使っていたつもりなのだろう。
まー特に最後なんかはタバコなんぞ吸うなよ!ってな状況だったし。
それでもベッドで「吸えるんなら吸いたいよー」なんて
ニコレットのイメージキャラ「吸いたくなるマン(←この名前どうよ?!)」が聞いたら
大喜びしそうな言葉をつぶやいてたなぁ。
棺桶にも、上記の歴代愛飲銘柄を投げ込んだ覚えがある。

結局、それだったのではないか?
先日、親父の3回忌の際にふと気がついた。
人前に出ると煙をくゆらせ強がる親父の姿。
僕は知らずのうちに、その背中をなぞっていたのではなかろうか。
強い男の代名詞だと信じてきた父親に、
少しでも近づくために興じた、いわばまねっこ。

実は、その言動全てが臆病の裏返しだったという事実。
加えて晩年、共に過ごす時間を放棄してしまった後悔の念。
そして、電話口の向こうで幾度も泣き喚く父親。
「会いたいよ、寂しいよ」

遺影を見上げて、そんな郷愁さえも薄れつつある自分自身に気付き、
激しく動揺し、訳もなく涙が溢れてきた。
焼香の手順を間違えるほどに動揺した。<これはただのバカ

元々看護婦だった姉、父親の看病以来健康マニアと化した母親。
みんな「へーやめたんだ!偉い!」と口をそろえる。
世間の風潮から見ても、吸わない方が何かと得策なのだろう。

そう、陳腐な言葉だけど、全ては変わり行くものなのだ。
人にいかに気に入られ、うまく世の流れに乗っかって生きていくか。
自分もそんな事実を受け入れなければいけないのだろう。
いつまでも、主義主張もなく流されるままに惰性で
物事をさばいてゆくだけではきっと生き残れない。

最後まで、「息子」であるはずの僕に、
「友人」として心の支えを求めようとしていた父。
そんな弱い人間にはなりたくない。
きっと、それが正しい考え方なのだろう。

何かが吹っ切れたような気がしたその夜、
初めて夢枕に親父が現れた。
お気に入りの麻のスーツで、いつものように不機嫌な様子で街をゆく父。
そして何の変哲もない店で、マグロをつまんでいた。
僕に何かを話しかけるがよく聞き取れない。
そのまま父は消えていった。

目が覚めて、僕がタバコをのみ始めた事を公言した日の
父の姿が蘇ってきた。
「…いつも父さんには吸うな吸うなって言ってたくせに!」
どこか嬉しそうな表情。

正直、タバコはうまい。
でも今後は吸わないでおこうと思う。
毎年訪れる、最愛の友人との別れの日以外は。

あ、そうか。誕生日もあるじゃん。
一応祝ってあげなきゃね。タバコ好きだったし。

僕が初めて自分の車を手に入れた日も、
何故かとなりでうまそうに煙を吐いていたなぁ。
中古の軽だったけど…

なるべく、なるべく、吸わないでおこうと思う。
 

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