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先週、東京に戻って、地下鉄を降りて地上に上がる。そこには永井荷風の偏奇館跡という小さな標識がある。そのときふと感じたある「不在」。もう、いないのだ、会うこともないのだ。
そのあたりで、しばしばKと出くわしていた。彼が伴侶を亡くしてからは私的な付き合いは少なくなってしまったが。30年来の知り合いなので「タツジ!」と声を掛けてくれる。たいていは「やあ」「やあ」の挨拶だけだが、数分の立ち話を交わすことも何度か。彼も私も30年来ずっと、この界隈に住んでいる。
二年程前にはBSテレビのヴァルタン特集への出演を紹介され、その後、一度、近所でランチを共にし、ブレルのミュージカルについての相談を受けた。ミュージカルについてはやや乱暴な企画で、時間の余裕もなかったので断ってしまった…。
30年という長い間、つかずはなれず友人未満知人以上。最後に会ったとき、ふと彼の老いとラフな服装が気になった…が、それは私とて同様…。
Kの自死が伝えられたとき、衝撃ではあったが、なぜか腑に落ちるところがある気がした。同世代で同時代、さらに似た場所と社会で生きてきた私にとっても、今、こういう時代になってしまうとなんとも説明のしようのない《生き辛さ》とか《虚脱感》を感じるのだ。「額はあるけど中に入れる絵がない」という言葉が重く響く。彼の場合は、それが心の病へと重症化して、もう自分でもどうしようもなくなってしまったのかもしれない。
Kのニュースを知って、咄嗟に私はそれぞれに別の理由で二人の友人のことが気になった。AとW、二人ともKと同様、私と同世代だ。
Aに関しては私のことを気遣って電話してくるだろうという奇妙な予感があった。Aにとって、私はKと似た存在だと考えているだろうから。こちらからAに電話をしようと思っていたら、案の定、彼のほうから電話があった。以心伝心。電話口から聞こえる予感どおりの言葉。「なんかさ、似ているから気になって…」。後日、共通の友人が経営する渋谷の焼肉店で会うことにした。
もう一人、Wには、まだ電話をしていない。というのも、彼は、この一年か二年、重度の鬱病を患い、最近、やっとよくなってきたと聞いたところなのだから。かういふのは実にタイミングを気にしてしまう。そろそろ電話するべきか、否か、まだ迷っている…。
いいことも悪いことも、誰もがそれぞれさまざまなことを抱えて生きている。六十を過ぎると、小さなことでも積み重なって重くなる。いいことばかりを支えに生きていくしかないのだが、ふと魔がさすときがある。その隙間は、やはり人格や性格、人柄でも愛情でもなく…心の風邪が、重症化して肺炎になるような病いなのだと思う。きっと自分ではどうしようもないのだ。
家族がいようが、迷惑をかけようが、もうどうしようもないのだ、病なのだから…。
私の禁煙欝など可愛いものだが、それは風邪で言うと寒気とか、くしゃみのような症状だそうだ。呼吸器内科医の友人も「卵が先か鶏かの問題だが、禁煙は往々にして心療内科の領域に発展しがちだ」という。いくつかの禁煙方法と安定剤を試してみたが、分かったことはひとつ、試行錯誤の内に最も自分に合った方法と薬の組み合わせを自分で見つけなくてはならないということだ。
Aとの約束で渋谷から道玄坂を上がった。フランスから帰国して東京に出てきた頃、よく歩いた坂だ。あれから30年以上、道玄坂の面影も思い出も遠い昔。酒も呑んだし、恋もした。だが、今は、通り行く人々の無機質な表情と、生命力もなく、ただ荒廃した若者たちのファッションと風俗の街。もはや私のいる場所ではない。
久し振りの李さんの店。心なしか少しやつれた李さん、聞けばダイエットという。太ればメタボといわれ、痩せればやつれたと心配される我らジャスカン世代。Aの孫ももうじき5人になるという。孫どころか、子どももいない(と思う…)私にとって、Aの家族話は親戚の近況を聞くようでなぜか嬉しくなってくる。
♪親の血を引く兄弟よりも固い契りの義兄弟〜♪(By星野哲郎)
…パリのカラオケ店で聞かされた故中上健次の歌声が蘇る。
有楽町シネカノンでの映画トークの日:「アバンチュールはパリで」(韓国映画・監督:ホン・サンス)、平日の月曜で、あいにく近づく台風で大雨。客の出足も鈍かった。それでもトークのお相手、歌手・猫沢エミさんとは5年ほど前にパリのイベントで会って以来で、気持ちよくトークが出来た(と言っても、オッチャン(儂)が勝手に喋り飛ばしていただけかも)。
トークが終わって「ごめんなさい、お渡しするのが今になって…」と猫沢さんより彼女のアルバムCDを貰う。聞けば私が訳詞をしたゲンさんの「ノワイエ」を吹き込んでくれたという。昔、ゲンスブール企画のアルバムのために女優の石堂夏央に提供して以来、この歌は新井英一、クミコをはじめ多くの歌手によって歌われている。
大の音痴の私が詞を付けたので、この歌はフレージングによる表現力が重要なポイントとなっている。猫沢さんの「ノワイエ」も、その不安定な呟きモードを上手に生かしてくれていた。
さて、この映画「アバンチュールはパリで」は週刊誌での批評も賛否が大きく分かれているが、個人的に私はこのような映画が大好きだ。間接体験として、映画の中に入り込んでしまう術に慣れている人は(つまり、仏映画好きにはこのタイプが多い)、鑑賞後の余韻というか、牛の消化のように何度もリピートして味わいを深めることが出来るのだ。しかも、ドキュメントのように描かれる《パリを舞台にした若オッサンと小娘との不倫物語》に「どうなるどうなる」とハラハラしてしまい、私などは既婚男の立場として年甲斐もなく「こまったこまったこまどりしまい」とか「まいったまいったまいけるじゃくそん」などと一緒になって心の内では小娘に振り回されっぱなしのテイタラク。
映画といえば、先日、知り合いの週刊誌記者から電話があって取材を受けた。映画「ジャック・メスリーヌ フランスで社会の敵No.1と呼ばれた男」二部作公開(11月7日)についてである。プログラム原稿などを手掛けたのだが、私のようにアラン・ドロン、ジャン・ギャバンなどのフィルム・ノワールで《フランス式男の仁義》に憧れてパリに飛び出した団塊オヤジにとってはたまらん映画なのだ。どんだけたまらんかなどと書きだすときりがないほどたまらんのである。そのたまらんぶりは映画を見て、プログラムを買って私の原稿を読んでもらう以外にないほどたまらん。
今週の週刊新潮にその記事が出ているそうだ。(金沢では発売が一日遅れなのでまだ読んでいないのだが)
この文面から見てもわかるように、禁煙の精神的バランスを取るための薬のせいか、最近、やっと元通りのハイテンション・オヤジのプチ細胞を取り戻しつつある。禁煙と共に今までこういう繰り返しを何度も経験しているので、まだ安心は出来ないのだが、今度は少し「夜明けが来たかな?」と思える状態だ。
プチ躁ついでに、万歩計付き(!)の熟年用携帯電話を買い換えた。今までは携帯メールが使えこなせずに無用の長物だったのだが(とにかく指が動かない、私の指がでかすぎる)、キーボード形式になった携帯に変更した。これなら何とかメールが使えそうだ。
私は若い頃からメカ音痴であったが、家電からPCに至るまで結構、メカを使いこなしてはきた。が、最近は複雑過ぎてなかなか覚えられない。買い込んで来た最新携帯も結構努力を要した。やっと、メールを送れるようになると、私は女子高生のごとく、あちらこちらに絵文字付きメールを送りまくった。東京から金沢への電車の中で、病院の待ち時間に、私は夢中で携帯に文字を打ち込む。ハイテンション・オヤジの相手をしてくれる優しい人妻もいれば、エエカゲンニセイ!と面倒がられるオッサンもいる。
実は東京金沢間の列車の中でも原稿が書けるように訓練するためなのだが…。
最近、金沢では7〜8人ぐらいの小さなカウンターの小料理屋が何軒かオープンした。小料理屋の値段で、腕は老舗料亭を越える店。金沢の食文化の奥深さを思い知らされる。東京メディアが発する下卑たスノビズムの値段だけが《高級》とか《星付き》の世界とは比べようもない。だいたい、東京から「○○を食べるだけのために金沢に来ました」などという《グルメ観光客》の輩は地元では「ほう、えらいごくろうな」てなもんである。
金沢では地元の人間でも知る人ぞ知る隠れ家的な名店が数多く、観光客が出入りするようになると地元の旦那衆(儂や儂)はさっと消えてしまう。だから、ここでは内緒。ま、みなさん遊びにきてくれたまえ。案内するぜ。
煙草はドクターストップ、禁煙で欝から躁へのジェットコースター、「オマエが二十歳で、オレ四十」と歌った「ノワイエ」オヤジも「オマエが四十で、オレ六十」じゃあ歌にもならない。もはや、残るは食欲のみ。
「お嬢さん、堪忍してください、こんな枯れ木にゃ花は咲きゃあしませんよ」と老いた私は少女に背を向け、夜の巷に消えていく〜。
今週末は、長野県車山高原で恒例のフランス車の大祭典フレンチ・ブルー・ミーティング(FBM)がある。早くも今年が23回目、23年の歴史が流れ、4000台の仏車と8000人の仏車ファンが北は北海道、南は九州から駆けつける。スポンサーも付けずに、全員ボランティア、参加者がみんなオーガナイザー、利益と寄金は全部、MDM(世界の医療団)へというフレンチ方式の自由、平等、博愛精神。
今年もゲストが多彩で、土曜の夜の打ち上げが楽しみだ。
http://www.kurumayama.com/fbm/
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