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小唄でしっぽり、シトロエンで青春の光と影、そして紅葉の京都

 投稿者:永瀧達治  投稿日:2009年11月12日(木)15時58分44秒
   金澤駅前の県立音楽堂邦楽ホールにて北陸小唄協会各派合同小唄鑑賞会。ホールに入ると、ちょうどお師匠さんが舞台で『浜の松風』の糸を弾いていた。同門の顔見知りが何人かいて挨拶を済ます。

 他の地方と違って、金澤を中心とする北陸では小唄だけでなく能や長唄や三味線などの伝統芸能が普通の大人のたしなみとして日常生活に根付いているせいか、こうした催し物にも普段着の観客が集まり、お座敷芸を楽しんでいる。馴染みの芸者の姿もちらほらと。

 『向こう通るは清十郎じゃないか 笠がよう似たすげ笠がよ〜』などと聞いたことあるフレーズが流れてくると、なぜか『お夏清十郎』の悲恋に胸を痛めるジャスカンの純情(儂や儂)。菅笠姿で刑場へ引き立てられる清十郎を求めて狂ったお夏が町を彷徨う姿…ええ話やあ〜りませんか(泣)

 ところが現世の巷では、かふしたアラカンや老人の純情を弄ぶ悪女が跋扈するといふ。メールや携帯を武器にした《出会い系》の世界では西鶴や近松の色恋など、もはや戻ることのないセピア色した古写真の思ひ出に過ぎない。

 先日、お師匠さんから貰った新曲は『冗談に着せたあたしの半纏が ようま似合った男ぶり エエーエー てなこと言って水入らず』。いいねえ〜、にくいね〜、よぉ!、旦さん!
 「あたしの半纏」を着せてくれるいい人はいないかね〜。って、半纏すら、もはや死語だそうだ。

 などと金澤での小唄のお稽古は私をいにしえの白昼夢にいざなってくれる…。

 独逸、伯林の壁が消えて早廿年。テレビや新聞の話によると《オスタルギー》という言葉が流行りとか。「オスト(東)」と「ノスタルギー(郷愁)」との造語らしい。15%もの独逸国民が壁の復活を望んでいるらしい。共産圏に自由はなかったが、格差による差別も極端な貧困もなかった…ああ、壁のあった、あの日に戻りたしと言うことらしい。ソ連式共産主義は自滅したが、アメリカ式資本主義が正しかった証明にはならない。

 最近、流行のキーワードに「ノスタルジック・フューチャー(懐かしき未来)」というのがあるそうだ。私がガキだった頃、未来の夢は高層ビルと立体交差する高速道路。そして夢は叶った…だが、現代の未来の夢はロボット社会でも月や火星に住む宇宙制覇でもないらしい。エコロジー・ブームの影響もあるのだろうが、最近の子供に『未来の夢』を描かせると森や山に囲まれた古きよきいにしえの里山の姿が描かれるという。まさしく《懐かしき未来》がそこにある。

 私が金澤・卯辰山の庵に篭りて鏡花の姿を追い小唄を嗜むのも、《懐かしき未来》といふ時代の風に流されているのかもしれない。

 そうそうノスタルジックと言えば、23回目のフレンチ・ブルー・ミーティング(FBM)に出かけてきた。北海道から九州まで全国のフランス車ファンが長野県車山高原に集まる年に一度の大祭典なのだが(メイン・グラウンドにパーキングするのは仏車限定なのだが、参加するのは国産車で駆けつけてもかまわない)、会場で60〜70年代のシトロエンやルノーを見ているとAuto Stop(ヒッチハイク)でヨーロッパ中のヒッピー、あるいはアナーキスト・コミュニティを巡り歩いた、あの青春の光と影の日々が懐かしい。旅先で出逢いしシルヴィ、マドレーヌ、ソフィなどいにしえの我が姫たち、今何処、すべてこぞ(去年)の雪…。

 今年のFBMは晴天で暖かい天候にも恵まれたせいか、人の数も車の数も今までで最高の盛り上がりを見せた。FBMが応援する《世界の医療団》MDMにも過去最高額の寄付金が集まったようだし、前夜祭から当日の舞台の音楽演芸部門もおバカにして芸術的、しかも日本のアコルデオン楽士の頂点を極める若手男女二人の初のデュオ演奏。

 噂に聞いていたBBこと《バゲット・バルドー》は圧巻だった。両腕がフランスパンの《バゲット》という金髪の和製バルドーがメチャキュートで可愛くて…モダン・アート・パフォーマンス!
 私のパリの友人の音楽プロデューサーのチチ君が、バゲット・バルドーのフランスCDデビューを目論んでいるようだが、自らナンセンス・パロディを得意とする彼が目をつけるだけのことはある。
 打ち上げの酒盛りパーティではデコルテ衣装でノリノリのBBに、ジャスカン老の私もタジタジ。半纏をそっと肩に掛けてくれて水入らずのしっぽりとした世界ならいざ知らず、もはや私にはこってりソースのフレンチ色事にゃ太刀打ち出来ぬ。

 名古屋のフレンチ飯屋『セル源's』のオヤジがどえりゃあバゲットに惚れ込んで、さっそくの名古屋ツアーが決定したとか。ちなみにこの店のロゴを揮毫したのは儂や儂。
http://serge-gens.jp/

 《バゲット・バルドー》の派手さに少し隠れてしまったが、もうひとつ凄いことがあった。フレンチ・アコルデオン界のソフィー・マルソー(!)かとうかなこさんの魅惑の(とても艶やかな)アコルデオンに、我らがサブちゃん、田ノ岡三郎のアコルデオンがいやらしくエロチックに絡んできたのが絶品だった!
 とにかくこの二人がミュゼットを競演すると、まるでパリのクレイジーホースでの特別公演白黒ショーのごときカップル誕生の瞬間だ。ほんま、ええモン見せてもらいましたわ〜。

 年に一度、ここでしか逢わない仲間も年々増えてくるのだが、このゆる〜い雰囲気で、7千人ほどの参加者全員がオーガナイザーでございますと言うフレンチ・コミュニティ的ノリが長続きの秘訣でしょうな。再来年には四半世紀を迎えるこのイベント、そろそろ初期のメンバーの高齢化が心配だ。

 家人とフランスからやって来た友人を伴い金澤から車を飛ばして紅葉の京都へ。鷹が峰の寺で一家親戚集合し墓参り。その後は戦前から我が家の恒例となっている三嶋亭ですき焼を食す。老母兄弟従姉妹が揃い小津映画のワンシーンのようなニッポンの家族風景。

 晴天の秋、紅葉の京都、大徳寺から哲学の道へ。夜は祇園に出るが、風俗店が軒を並べる京都の《新宿化》《アメリカ村化》にげんなり。ニッポンの伝統を守るには京都は都会過ぎる。金澤がいつまでも小さな地方都市であって欲しい。

 紅葉の京都の最終日、信楽のMihoミュージアムまで車を飛ばす。噂どおりの建築と展示物。ルーブルのピラミッド設計のペイ氏による建物のせいか、ミシュラン・ヴェール(緑本)でも三ツ星の評価とか。開催中の『若冲ワンダーランド』も実に興味深い。
 気になるのは美術館のバックの存在…。古今東西を問わず、宗教の集金能力は凄まじい…。

 相変わらず禁煙対策のパッチやクスリでハイテンションの日々。
 

欝から躁への疾走感

 投稿者:永瀧達治  投稿日:2009年10月29日(木)22時43分2秒
   先週、東京に戻って、地下鉄を降りて地上に上がる。そこには永井荷風の偏奇館跡という小さな標識がある。そのときふと感じたある「不在」。もう、いないのだ、会うこともないのだ。

 そのあたりで、しばしばKと出くわしていた。彼が伴侶を亡くしてからは私的な付き合いは少なくなってしまったが。30年来の知り合いなので「タツジ!」と声を掛けてくれる。たいていは「やあ」「やあ」の挨拶だけだが、数分の立ち話を交わすことも何度か。彼も私も30年来ずっと、この界隈に住んでいる。

 二年程前にはBSテレビのヴァルタン特集への出演を紹介され、その後、一度、近所でランチを共にし、ブレルのミュージカルについての相談を受けた。ミュージカルについてはやや乱暴な企画で、時間の余裕もなかったので断ってしまった…。
 30年という長い間、つかずはなれず友人未満知人以上。最後に会ったとき、ふと彼の老いとラフな服装が気になった…が、それは私とて同様…。

 Kの自死が伝えられたとき、衝撃ではあったが、なぜか腑に落ちるところがある気がした。同世代で同時代、さらに似た場所と社会で生きてきた私にとっても、今、こういう時代になってしまうとなんとも説明のしようのない《生き辛さ》とか《虚脱感》を感じるのだ。「額はあるけど中に入れる絵がない」という言葉が重く響く。彼の場合は、それが心の病へと重症化して、もう自分でもどうしようもなくなってしまったのかもしれない。

 Kのニュースを知って、咄嗟に私はそれぞれに別の理由で二人の友人のことが気になった。AとW、二人ともKと同様、私と同世代だ。
 Aに関しては私のことを気遣って電話してくるだろうという奇妙な予感があった。Aにとって、私はKと似た存在だと考えているだろうから。こちらからAに電話をしようと思っていたら、案の定、彼のほうから電話があった。以心伝心。電話口から聞こえる予感どおりの言葉。「なんかさ、似ているから気になって…」。後日、共通の友人が経営する渋谷の焼肉店で会うことにした。
 もう一人、Wには、まだ電話をしていない。というのも、彼は、この一年か二年、重度の鬱病を患い、最近、やっとよくなってきたと聞いたところなのだから。かういふのは実にタイミングを気にしてしまう。そろそろ電話するべきか、否か、まだ迷っている…。

 いいことも悪いことも、誰もがそれぞれさまざまなことを抱えて生きている。六十を過ぎると、小さなことでも積み重なって重くなる。いいことばかりを支えに生きていくしかないのだが、ふと魔がさすときがある。その隙間は、やはり人格や性格、人柄でも愛情でもなく…心の風邪が、重症化して肺炎になるような病いなのだと思う。きっと自分ではどうしようもないのだ。
 家族がいようが、迷惑をかけようが、もうどうしようもないのだ、病なのだから…。

 私の禁煙欝など可愛いものだが、それは風邪で言うと寒気とか、くしゃみのような症状だそうだ。呼吸器内科医の友人も「卵が先か鶏かの問題だが、禁煙は往々にして心療内科の領域に発展しがちだ」という。いくつかの禁煙方法と安定剤を試してみたが、分かったことはひとつ、試行錯誤の内に最も自分に合った方法と薬の組み合わせを自分で見つけなくてはならないということだ。

 Aとの約束で渋谷から道玄坂を上がった。フランスから帰国して東京に出てきた頃、よく歩いた坂だ。あれから30年以上、道玄坂の面影も思い出も遠い昔。酒も呑んだし、恋もした。だが、今は、通り行く人々の無機質な表情と、生命力もなく、ただ荒廃した若者たちのファッションと風俗の街。もはや私のいる場所ではない。
 久し振りの李さんの店。心なしか少しやつれた李さん、聞けばダイエットという。太ればメタボといわれ、痩せればやつれたと心配される我らジャスカン世代。Aの孫ももうじき5人になるという。孫どころか、子どももいない(と思う…)私にとって、Aの家族話は親戚の近況を聞くようでなぜか嬉しくなってくる。
♪親の血を引く兄弟よりも固い契りの義兄弟〜♪(By星野哲郎)
…パリのカラオケ店で聞かされた故中上健次の歌声が蘇る。

 有楽町シネカノンでの映画トークの日:「アバンチュールはパリで」(韓国映画・監督:ホン・サンス)、平日の月曜で、あいにく近づく台風で大雨。客の出足も鈍かった。それでもトークのお相手、歌手・猫沢エミさんとは5年ほど前にパリのイベントで会って以来で、気持ちよくトークが出来た(と言っても、オッチャン(儂)が勝手に喋り飛ばしていただけかも)。

 トークが終わって「ごめんなさい、お渡しするのが今になって…」と猫沢さんより彼女のアルバムCDを貰う。聞けば私が訳詞をしたゲンさんの「ノワイエ」を吹き込んでくれたという。昔、ゲンスブール企画のアルバムのために女優の石堂夏央に提供して以来、この歌は新井英一、クミコをはじめ多くの歌手によって歌われている。
 大の音痴の私が詞を付けたので、この歌はフレージングによる表現力が重要なポイントとなっている。猫沢さんの「ノワイエ」も、その不安定な呟きモードを上手に生かしてくれていた。

 さて、この映画「アバンチュールはパリで」は週刊誌での批評も賛否が大きく分かれているが、個人的に私はこのような映画が大好きだ。間接体験として、映画の中に入り込んでしまう術に慣れている人は(つまり、仏映画好きにはこのタイプが多い)、鑑賞後の余韻というか、牛の消化のように何度もリピートして味わいを深めることが出来るのだ。しかも、ドキュメントのように描かれる《パリを舞台にした若オッサンと小娘との不倫物語》に「どうなるどうなる」とハラハラしてしまい、私などは既婚男の立場として年甲斐もなく「こまったこまったこまどりしまい」とか「まいったまいったまいけるじゃくそん」などと一緒になって心の内では小娘に振り回されっぱなしのテイタラク。

 映画といえば、先日、知り合いの週刊誌記者から電話があって取材を受けた。映画「ジャック・メスリーヌ フランスで社会の敵No.1と呼ばれた男」二部作公開(11月7日)についてである。プログラム原稿などを手掛けたのだが、私のようにアラン・ドロン、ジャン・ギャバンなどのフィルム・ノワールで《フランス式男の仁義》に憧れてパリに飛び出した団塊オヤジにとってはたまらん映画なのだ。どんだけたまらんかなどと書きだすときりがないほどたまらんのである。そのたまらんぶりは映画を見て、プログラムを買って私の原稿を読んでもらう以外にないほどたまらん。
 今週の週刊新潮にその記事が出ているそうだ。(金沢では発売が一日遅れなのでまだ読んでいないのだが)

 この文面から見てもわかるように、禁煙の精神的バランスを取るための薬のせいか、最近、やっと元通りのハイテンション・オヤジのプチ細胞を取り戻しつつある。禁煙と共に今までこういう繰り返しを何度も経験しているので、まだ安心は出来ないのだが、今度は少し「夜明けが来たかな?」と思える状態だ。

 プチ躁ついでに、万歩計付き(!)の熟年用携帯電話を買い換えた。今までは携帯メールが使えこなせずに無用の長物だったのだが(とにかく指が動かない、私の指がでかすぎる)、キーボード形式になった携帯に変更した。これなら何とかメールが使えそうだ。
 私は若い頃からメカ音痴であったが、家電からPCに至るまで結構、メカを使いこなしてはきた。が、最近は複雑過ぎてなかなか覚えられない。買い込んで来た最新携帯も結構努力を要した。やっと、メールを送れるようになると、私は女子高生のごとく、あちらこちらに絵文字付きメールを送りまくった。東京から金沢への電車の中で、病院の待ち時間に、私は夢中で携帯に文字を打ち込む。ハイテンション・オヤジの相手をしてくれる優しい人妻もいれば、エエカゲンニセイ!と面倒がられるオッサンもいる。
 実は東京金沢間の列車の中でも原稿が書けるように訓練するためなのだが…。

 最近、金沢では7〜8人ぐらいの小さなカウンターの小料理屋が何軒かオープンした。小料理屋の値段で、腕は老舗料亭を越える店。金沢の食文化の奥深さを思い知らされる。東京メディアが発する下卑たスノビズムの値段だけが《高級》とか《星付き》の世界とは比べようもない。だいたい、東京から「○○を食べるだけのために金沢に来ました」などという《グルメ観光客》の輩は地元では「ほう、えらいごくろうな」てなもんである。
 金沢では地元の人間でも知る人ぞ知る隠れ家的な名店が数多く、観光客が出入りするようになると地元の旦那衆(儂や儂)はさっと消えてしまう。だから、ここでは内緒。ま、みなさん遊びにきてくれたまえ。案内するぜ。

 煙草はドクターストップ、禁煙で欝から躁へのジェットコースター、「オマエが二十歳で、オレ四十」と歌った「ノワイエ」オヤジも「オマエが四十で、オレ六十」じゃあ歌にもならない。もはや、残るは食欲のみ。
 「お嬢さん、堪忍してください、こんな枯れ木にゃ花は咲きゃあしませんよ」と老いた私は少女に背を向け、夜の巷に消えていく〜。

 今週末は、長野県車山高原で恒例のフランス車の大祭典フレンチ・ブルー・ミーティング(FBM)がある。早くも今年が23回目、23年の歴史が流れ、4000台の仏車と8000人の仏車ファンが北は北海道、南は九州から駆けつける。スポンサーも付けずに、全員ボランティア、参加者がみんなオーガナイザー、利益と寄金は全部、MDM(世界の医療団)へというフレンチ方式の自由、平等、博愛精神。
 今年もゲストが多彩で、土曜の夜の打ち上げが楽しみだ。
http://www.kurumayama.com/fbm/

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鏡花幻想に暫し酔い痴れ、鰯雲に浮かぶ満月を仰ぐ。

 投稿者:永瀧達治  投稿日:2009年10月 4日(日)12時57分33秒
   いつのまにやら夏過ぎぬ…などと書いてから、亦あたふたと時は過ぎ気が付けばけふはもはや神無月…神は出雲の国へお出掛けと聞く。神にもすがりたくなる我が心なのに…。
 というのも…亦X3の禁煙26日目、以来ずっと重度の禁煙欝に捉われている。ついこないだQOLだの人生の質などと屁理屈つけて半年の禁煙生活に終止符を打ち、スパスパと陽気で明るい3ヶ月の喫煙生活を楽しんでいたのだが、喫煙による精神の復活と肉体の崩壊は反比例していた…。吸うも地獄、吸わぬも地獄。

 多少のことは覚悟していたが、今回は笑うに笑えぬドクター・ストップ。還暦過ぎた身に医者の脅しは効き過ぎる。考えてみれば、煙草と酒と女に《依存》したフランスの伊達男ゲンさんが死んだのは62歳…などと思った途端、記憶の底から、『オマエは俺に似ているよ』と言った彼奴(きゃつ)の不吉な面が目に浮かぶ。あと一年と半年…彼奴はそんなに早死にだったのか。

 だが、彼は煙草で死んだのではない。肺でなく肝臓がボロボロに。酒が命取りだった。煙草と縁を切っても、まだ私には残りの《二つ》が残っている…『儂、ちょっと胸患ろうてんねん、たぶんもうそないになごないやろな、どや、儂のさいごのおなごにならへんか?』…などと酒場で口説くオッサンがいたら、それはわいやわい。

 などと時折独り冗談は言えるのだが、実は禁煙欝ひどく人前に出るとかなり不機嫌で仕方なく金澤の庵に篭る日々が続く。東京の付き合いは不義理ばかり。お招きなどの虚栄の市に顔を出さぬは此れ幸いなのだが、困るのが東京での映画の試写会。案内が来てもほとんど見に行けない状況が続く。それでも、いくつかの映画は原稿絡みで…無理をする。

 パリを舞台にした韓国映画「アバンチュールはパリで」(ホン・サンス監督)。
 これは先月のフィガロ・ジャポン誌(9.5発売号)の映画評にも書いたので、読んだ人がいるかもしれないが、パリの自由な空気感の中で、繰り広げられる束の間の不倫の恋の物語。ちょっと生意気な小娘が淋しい若オッサンの心に火をつける。
 意外なことにフランス好きは同時に韓国好きというのが結構多い。なぜなのか?…それは謎なのだが、韓流ブームが圧倒的にオバサンたちというのと何か関係があるのかもしれない。
 10月26日、有楽町のシネカノンでトークイベントを頼まれている…が、心配なのは、今の禁煙欝の状況…。また、しどろもどろになったらどないしよう。

 『ジャック・メスリーヌ〜フランスで社会の敵(パブリック・エネミー)No1と呼ばれた男〜』(ジャン=フランソワ・リシェ監督)の試写会が始まっているが、これは試写前に頼まれてプレス・パンフへの原稿を書いた。たぶん、上映プログラムにも転載されるだろうが。
 フランス映画界で久々のフィルム・ノワール。『ノワール編』と『ルージュ編』の二部作大巨編に《フレンチ男の世界》が炸裂する。主演のヴァンサン・カッセルが渋い名演技。
 原稿にも書いたことだが、ジャック・メスリーヌはアルジェリア戦争から五月革命へ、そして映画『俺たちに明日はない』、あるいはゲンスブール&バルドーのヒットソング『ボニー・アンド・クライド』、左翼テロリストのヒーロー幻想…そんな70年代前後の時代と文化に触発された犯罪人。

 私のようなフレンチ狂のオッサンにとっては胸ワクの映画。とにかく、ジャック・メスリーヌという名前を聞いただけで、セ・パ・ヴレ!(ほんまかいな!)と叫びたくなる懐かしの大悪人。メスリーヌは実在した伝説的犯罪人。
 映画もどきの彼の人生が映画になったのだが、50年代から70年代を細部にわたって再現するドキュメンタリー・タッチのレアリズム、メスリーヌの冷酷さと薄っぺらな自己顕示欲、そして、時代に蔓延した《男の美学》への幻想などが、私のような老いて病んだ男の胸を撃つ。

 考えてみれば、《ボクの時代》がどんどんと伝説化されている。試写会で見れなかったので、金澤の映画館で、「ココ・シャネル」(シャーリー・マクレーンのアメリカ版)と「サガン〜悲しみよこんにちわ〜」を立て続けに見た。ボクがまだ少年だった頃、同時代に生きていた彼女たちの人生が2時間ほどの映画に縮められてしまう…そんな時代の流れが恐ろしい。

 さらに、なにやら彼の地からの噂ではゲンさんの伝記映画までが…。いまだに(私=ゲンさん専門家)、(私=日本のゲンさん)などと勘違いの依頼や連絡が来る。ゲンさん関連では、私もずいぶん遊ばせてもらったが、ゲンさんがボリス・ヴィアンと同じくらいのマイノリティの青春のヒーローになれば十分で、もう、私の役目は終わったと考えている。

 ピアフからシャネル、そしてサガンからゲンスブールまでが、安っぽいメロドラマに昇華される。こういう流行とは尊厳とかレスペとは違うような気がする。非常にマーケティング臭く感じるのだ。今や、あらゆるアートがマーケティング。人は金と自己露出のためならば何でもするようになった。

 ココ・シャネルの映画に「時計仕掛けのオレンジ」の主役だったマルコム何とかという役者が出ていたが、こういう「あの人は今」的な出現に出くわすとき、私はふと鏡に向い老いた我が身を見つめ号泣す。

 試写を見逃していた「夏時間の庭」も、遅れて金澤で観た。いい映画で胸にジンと来るのだが、自分が映画の途中で死んでしまう親世代の身になるとなんだか悲しく虚しい。

 …などと映画を観ても、禁煙欝の症状甚だしく、雑原稿を済ませると、夕暮れ時に卯辰山寺院群の迷路を散策する。薄暗い路地の物陰から野良猫がじっとこちらを見ている。路地を抜け出し、川辺に至り、天神橋の欄干に靠れて中秋の月を見上げる。すると…「ちょいと兄さん、私をお忘れかえ?」と声がする。
「その年紀は二十三、四、姿は強いて満開の花の色を洗ひて、清楚たる葉桜の緑浅し。色白く、鼻筋通り、眉に力味ありて、眼色に幾分の凄みを帯び、見るだに涼しき美人なり」(「義血俠血」)

 今宵も金澤でしか起こり得ない鏡花幻想に暫し酔い痴れ、鰯雲に浮かぶ満月を仰ぐ。
 

いやはや、あたふたと、いつのまにやら、夏過ぎぬ…。

 投稿者:永瀧達治  投稿日:2009年 8月24日(月)17時32分29秒
   金沢にて仲良しオヤジ三人組で60の手習いとして小唄のお師匠さんのもとに通い始めて、はや十月に十日、艶なお師匠がややこを産んだ…てなことないが、「新年会」で初舞台。今回は二度目の発表会。師匠一門五十人ほどが勢揃いの「浴衣会」が県立能楽堂別館にて行われた。
 われらオヤジ三人組は舞台に並びて新参者の前座にて、私の美声で♪船頭さん、心を計る棹はちょいとないかいな♪と「水の深さ」で始まり、大工のガキさんがハスキーボイスで♪振袖姿で強請りに行けば、ばれたとさ、弁天小僧の菊之助♪と「お伊勢参り」、そして、お茶屋のマルちゃんが渋い声出し♪しげく逢うのは互いの毒と承知しながら♪と「しげく逢うのは」を唄い、続いて「縁かいな」の春夏秋冬を三人で歌い継ぐ。春は私で「夕べの手枕にしっぽりと降る軒の雨〜」、ガキさん続いて「玉屋がとりもつ縁かいな〜」と夏唄い、マルちゃん「夜長の長々と痴話がこうじて背と背〜」、そして、冬編は三人オヤジ合唱隊で「積もる話が寝て溶ける、雪がとりもつ縁かいな〜」…いやはや還暦過ぎた三人男のエロい、いや、艶な小唄。一門に名を連ねる「にし茶屋街」の芸者衆からも感激軽蔑の拍手喝采。
 その後、ベテラン旦那衆、芸者衆、師範の小唄が延々四時間続く。お師匠さんは最初から最後まで糸を爪弾き、フィナーレの名調子♪素肌に仇なちりめん浴衣、担ぐ神輿に乱れ髪♪の「浅草育ち」まで殆ど出ずっぱり。足が痺れて、腰痛くなる頃、近くの料亭に場所移し、待ってましたの酒とメシ!、芸者踊るし寸劇あるは、一門揃ってちりとてしゃん。

 などと浮かれながら、東京に戻りて盆休み。
 いやはや、あたふたと、いつのまにやら、夏過ぎぬ…。

 ****************

(繊研新聞文化欄 2009.8.15)

堕落する世界…『堕落する高級ブランド』
          永瀧達治

 今に始まったことではないが、数年前から、社会や文化に対しての好奇心が衰えてきた。新しい情報をおもしろいと思わなくなってきたのだ。単なる老化現象かとも思うが、イマドキの還暦では少し早い気もする。
 しかし、聞けばイマドキの若者たちにも、好奇心の欠如が顕著だという。特に《草食系》と呼ばれる男子たちに、その傾向が強いらしい。恋愛に臆病になり、自動車や海外旅行などにも興味を示さないとか…。団塊世代の友人たちは『今の若者は情けない』と嘆くのだが、似たような症状に悩まされる私にはわかる気がする。
 恋愛は私たちの時代に比べてより自由になったが、同時に性的タブーが消えて、過激な情報ばかり…繊細な男の子たちは好奇心を持つどころか、恐れをなしてしまう。そして、自動車はもはやステイタス・シンボルではなくなったし、スピードを出せば監視カメラで即座に違反切符を切られてしまう。海外の情報や風景などはテレビとネットでいつでも見れるので海外旅行に行く必要がない…。団塊オヤジの自慢を真似て、人生の冒険でドロップアウトしたら、今の時代、社会の底辺から這い上がることなど二度と出来ない。
 時代は便利で豊かになったが、個人の生活はつまらなくなる一方ではないのか?
 《草食系》の男の子たちに比べて元気だと言われるのが、イマドキの女の子たち。そして、定年退職して意気消沈しているオヤジたちより、団塊世代のオバサンたちは元気だ。あらゆる企業の消費が女性たちによって支えられている。中でも、ファッション産業の勢いが凄まじい。
 『堕落する高級ブランド』(ダナ・トーマス著、実川元子訳、講談社刊)は小さな老舗の個人商店だったブランドが、世界の女性たちの元気な好奇心を煽り、いかにして巨大なグローバル企業に成長したかをよく描いている。この半世紀、世の文化人たちはファッションは文化だ芸術だと礼賛してきたが、今ではグローバル企業による利益誘導の道具にしか過ぎない。ファッションだけでなく、多くの映画も音楽も出版物も…利益最優先。好奇心欠如はそのせいに他ならない。
 この本によると、利益だけを追求するブランドの《堕落》が始まったのはバブルに沸く日本が起爆剤となったそうだ。社会格差がなく、誰もが中流で、みんなと一緒が大好きな日本女性のブランドへの憧れが巨大な利益を生んだのだ。そして、今、舞台は中国に移りつつある…。
 グローバル企業にとって、扱う《商品》はファッションでもなんでもいい。ブランドを食い潰した後には、また別の《商品》を見つけ出す。
 実は…堕落しているのは嬉々としてブランドに群がる《元気な女性たち》ではなかろうか?
 女性の時代と持てはやされているが、気弱な草食系男子は危険を察知する籠の中のカナリヤのような存在かもしれない。
 堕落する世界で、彼らは警告を発している…。
 

ジャスカンの嘆き

 投稿者:永瀧達治  投稿日:2009年 7月16日(木)18時39分20秒
   先月末から東京や金沢での呑み会が続いた後、巴里祭と私の還暦祝い(呪い?)に突入してしまい、毎夜の饗宴が続き…ついに急性胃炎か何かで昨日からダウンしてしまった。
 なんとか薬で熱と痛みを抑え込んで金沢に舞い戻ってきた。

 金沢で日仏協会の理事にさせられていて、ふと漏らした私の呟きで「老若男女が楽しめるダンスパーティ」を《金澤巴里祭》として企画してしまった。

 7月10日、旧友のアコーデオン奏者、田ノ岡三郎を招き「輪になって踊ろう」という200人規模の大パーティを地元の新聞社のホールを使って決行。私のイメージにあるのはパリ祭の日にフランスの消防署などで繰り広げられる野外ダンスパーティだったのだが…当日になるまで、果たして金沢の老若男女が輪になって踊ってくれるのか、心配だった。
 地元のシャンソン歌手が何曲か歌い、三郎のアコーデオン・ソロ演奏で踊らせて、その後は私のフレンチDJと金大教授K氏のアラブDJで盛り上げる予定…果たせるかな、予定通り踊った踊った!、輪になって踊った!
 「アラブ歌謡で踊るのか?」と不安顔のK氏の選曲でも踊った!
 東京の大使館から来ていた経済公使夫妻までもが、踊って楽しんでくれた。

 二次会は美人女将の《男の隠れ家》料理屋Tでシャンパン&ワイン呑み放題で三郎のアコーデオンと共に夜が更けての巴里祭パーティ。ここではシャンソン好きの金沢マダムの集団が三郎の演奏にコーラスを入れて盛り上がり、名古屋や富山からやって来た《人妻》連合が亭主のいないのを幸いにガンガン呑んでいた…。

 翌日は友人でもある公使夫妻を金沢の芸者街へ案内し、さらにその翌日は東京へ戻り、私のジャスカン(ジャスト還暦)・ディナー、その翌日も東京の仲間たちが開催してくれた還暦祝いで大食痛飲、また、その翌日は大使館での本番(?)パリ祭(革命記念日)大パーティ。

 同じ夜にシャンソン系のマダムたちが主催する、もうひとつの《巴里祭》があり、ゲストのダニー・ブリヤンについてプログラム原稿を書いたのだが、そちらへは行くことができなかった。ダニー・ブリヤンだけは見ておきたかったのだが、時間的にも体力的にも限界だった。
 そして、案の定、ダウン…翌日の食事会はキャンセルしてしまう。
 ああ、もう若くはないのだと悟ったジャスカンの嘆き。
 

紫陽花混濁哀歌

 投稿者:永瀧達治  投稿日:2009年 6月27日(土)12時03分22秒
   人間(ワシの?)の記憶構造には奇妙なことがたくさんある。

 たとえば、今の季節で言えば「アジサイ」が問題だ。なぜか、私にはアジサイに関する関連性の糸がこんがらがっている。草花の名前には人一倍疎い私だが、チューリップやバラと同様にアジサイの花は知っている。さらに、それを「紫陽花」と漢字で書くことも、仏語で「オルタンシア」ということも知っている。

 ところが、「知っている」はずなのに実際に花を目にするとき、「アジサイ」という言葉が思い浮かばずに、「ナンダッケ?」状態になり、シヨウカ(紫陽花)という漢字だけが頭に浮かぶことがある。もちろん、「シヨウカ」などと読まないことはわかっているが、その読みがでてこないのだ。あるいは「オルタンシア」と仏語が飛び出すが、日本語で何というのだっけ?とわからなくなる。その逆もある。「アジサイ」が出て来るのに漢字も仏語も出てこない…。

 単なるど忘れとか、年のせいのボケでもない。若い頃から、私は「アジサイ」が苦手だったのだ。記憶構造の中で、「アジサイ」や「紫陽花」や「オルタンシア」といった言葉の相互リンクに何らかの支障をきたしていて、それを何度学習しても修正できないのだ。

 アジサイは先日気がついたほんの小さな例えに過ぎないのだが、花の名前だけでなく、人間を相手にすると、これがかなり重症だ。さらに、記憶を時系列で整理する能力がない。ひどいのは過去のある時代がブロックごと喪失。まだら模様の記憶を取り戻そうとすると、とてつもない不安感に襲われる。

 そうは言っても、見た目には「フツー」の暮らしをしているわけだから、たぶん私が特別なのではなく、みんな多少なりとも、そうだと思うのだが、還暦を迎えてもなお、こうした「どうしようもない自分」を抱えて生きていくというのは大変なことである。

 記憶問題とは少々異なるが、「どうしようもない自分」と依存症が重なった結果、実は2週間ほど前に半年も続いていた「禁煙」を「解禁」してしまった。
 どんなに言い訳をしようと、それはよくある禁煙失敗談に過ぎないので、ここにくどくどと書き連ねることはしないが、いくつかわかったことがある。
 まず、自分がかなり重度のニコチン中毒であること。脳の一部機能を損傷してしまうような煙草はやめられるならば、やめたほうがよいということ。それを認めたうえで、半年以上の先が見えない禁断症状の苦しさをQOL(人生の質)問題にすりかえてしまった…。

 恐ろしいもので、半年もの間、完全に禁煙していたにもかかわらず、行き詰った原稿仕事のため、ほんの一時的のつもりで「解禁」した瞬間、「この半年はいったいナンだったのか?」と思えるほどに、何の違和感も特別な刺激も喜びも挫折感もなく、ごく自然に半年前のペースに戻ってしまった。同時に気分にも精神にも、あの失われた日常の高揚感が戻ってきた。もちろん、行き詰った原稿も無事に校了。

 そこで私が編み出した「言い訳」がクォリティ・オブ・ライフなのだ。

 ま、そんなわけで、相変わらずの「どうしようもない自分」を抱えて、再び紫煙を燻らせながら迫り来る還暦を迎えようとしております。
 

凄まじい話をさらりと語る男。

 投稿者:永瀧達治  投稿日:2009年 6月10日(水)15時28分35秒
   ある男の話。

「わし、今年で(某大手企業を)還暦で定年になるが、わしの会社で定年まで勤め上げたのは珍しいんや。まあ、ほとんどが定年前で肩たたきやリストラで辞めているちゅうか、辞めさせられている。しかもやで、そのほとんどを人事部一筋やったわしが辞めさせてるんや。ずいぶんたくさんの人がわしを恨んでいると思うで。なにしろ、千人を超えるぐらいの人を辞めさせたからなあ。そのわしが定年まで勤め上げて、恨まれてるやろうなあ。
 わしは通勤の電車でも、ホームの最前列には絶対に立たないようにしているんや。首を切った人間はみんなわしの顔を知っているやろ、いつ何時、ホームから突き落とされるかわからんからなあ。恐くてホームの前のほうには立てないよ(笑)」

 と、言った男が、しばらくして小学校の頃の思い出話を始める。

「あの頃なあ、学校にひとり色の黒い混血児の女の子がいたんやが、わしら、よう苛めたわ。いまから思ったら、すごい心に傷つけたと思うけど、わしら子どもやったから、ようわからんかったやろ。それから、在日のやつらにも『お前ら国へ帰れ!』ゆうて、苛めてたなあ。今と違って、そういうことは学校で教えられなかった時代だから、わしら、それが悪いことと知らんかったからなあ」

 さらに、続けて

「でも、今でもサッカーや野球の試合なんかあると、韓国や朝鮮だけには負けるなと応援している。あいつらよりも格下とか、弱いというのは考えられないからな…まあ、まだ自分に差別の気持ちがあるんやろなあ。この間、そんな話を在日の人に話したら、『あなたは正直だ』と言ってくれたよ。みんな、そう思っているのに口に出さないからね。
 娘がそういう人間と結婚すると言ったら、絶対にやめさせるね。まあ、相手がタイガー・ウッズだったら別やろうけど」

 さらに、

「わしは自慢やないが、今まで60年間、包丁なんか持ったこともないし、台所に立ったこともないし、買物に行ったこともない。単身赴任してたときがあるが、全部、外食やった。わしらの時代は男が料理なんかするなという教育やったからなあ。
(同じ年配だが、私はそんな教育は受けていない。料理もするし、市場が大好きだと口を挟むが、あなたは特別だと意に介しない)
 定年になっても、女房と温泉旅行なんか、考えられんな。三分以上、一緒にいたら、話すことなんか何もないやろ。女房は今、水泳に夢中で、年齢別部門とかで優勝したり、海外の大会へ行ったりしているが、わしも娘らも応援になんか一度も行ったことない。うちはみんな自由だからね」

 この男にとって、還暦までの人生とは何だったのだろうか?
 

アントワーヌが金沢にやってきた…らしい。

 投稿者:永瀧達治  投稿日:2009年 6月 2日(火)07時27分39秒
   金澤を暫く留守にして帰って来ると当地の日佛協会の某婦人が血相を変へてかふ言いに来た。

「先週、電話したがぁ、金沢におらんかったやろ。アントワーヌちゃらゆうて元歌手やとかゆう人が、おいでになってな、なんやらフランスではえれえ有名な人らしゅうて、そんならあんたに聞こうと思とったんや。会うて食事したんやが、65歳やとかゆうとったが髭はやして、《ウミヲヨゴシテハイケマセン》なんて覚えたての日本語で言う変な人やったけど、あんた知っとるけ? アントワーヌ?」

 あの《アントワーヌ》に違いない。苗字がなくて、よくある名前のアントワーヌだけ。元祖イチローみたいなもんじゃ、ちゃうか。ちなみに手元のシャンソン辞典を調べてみると、1944年生まれなので、ぴったり今年65歳だ。間違いないぞ。

 80−90年代だったか、ヨットで世界を放浪していると噂を聞いた。その後、時折、フランスのTVで見たような気もする。あのアントワーヌなら、ぶらりと突然、金澤に現れても不思議ではなかろう。いやあ、アントワーヌなら会ってみたかったなあ。

 アントワーヌは1960年代に長髪ヒッピースタイルのフォークシンガーで、いわばフランスのボブ・ディラン。プロテスト・ソングで社会批判も鋭く、同時に当時のアイドルでもあった。日本で言えばさしずめ吉田拓郎なのか。

 80年代から90年代にかけて、人種差別反対のSOSラシズムという組織が「オレのダチに手を出すな」touchez pas a mon pote というキャンペーンをやっていたが、アントワーヌはそれをもじって、「海に手を出すな!」touchez pas  a la mer という海洋環境保護キャンペーンを繰り広げている。彼のオフィシャルHPを覗いてみると、5月にグアムでの記載があるので、その後、日本に立ち寄ったと思われる。

 五月革命の立役者だった《赤毛のダニー》ことダニエル・コンベンディクトは今やドイツの緑の党でEU議員、フレンチ・ブルースの元祖で、数年前に麦畑で猟銃自殺したニノ・フェレールも環境問題にのめりこんでいた。そして、60年代の反逆児アントワーヌも。ヨーロッパでの現代の《良心の反体制》はエコ(環境問題)のようだ。

 フランスの《アンチ・コンフォルミスト》たちは環境・エコを通じて、まだまだ意気軒昂。

 ところで、私の身の回りには、いわゆるエコ・バッグと言われるものが十個近くある。買ったものは一つもない。全部、企業の《エコ宣伝》の無料グッズだ。捨てたり人にあげたものもあるので、溜め込んでいたら20以上になっていただろう。レジ袋をなくすことによる《エコ効果》とエコ・バッグを大量に作る《ゴミ生産》を比較すると、ほんまにエコかいな?

 日本のエコは、なんとなく企業の利益誘導キャンペーンに利用されている気がしてならない。エコがマンガやダイエットなどと同様にひとつのブームなのだ。そして、体制がブームを利用する。そもそも《体制》とか《反体制》などという言葉も死語か、団塊サヨクの口癖として嘲笑の対象。

 サブ・カルチャーから環境問題まで、すべて国家や企業という管理する側(体制)のオフィシャル・グッズとして認知されてしまうシステム。その異常さと恐ろしさ。
 アーチストがテレビ広告でラーメンやビールを手に持ち笑顔を見せ、ロック・シンガーがバラエティショーで道徳を語り、政府が「マンガは日本が誇る世界の文化だ」と胸を張る。なんかちゃうやろ、どっかまちごうてへんか?

 かくいふ私は…禁煙と中古のプリウスで世界の環境問題と闘っている! ちゃうか。
 

我ら熟年探検隊 〜Tokyoアジア地帯潜入記〜

 投稿者:永瀧達治  投稿日:2009年 5月23日(土)12時20分6秒
   とあるテレビ番組への夫婦出演の収録もあって、今月はいつもより早い目に東京へ戻る。若い頃ならカッコをつけて「そないにこっぱずかしいもんでれるかいな」と啖呵を斬っていたものだが、アラカンになると、そないなことはもうどうでもよくなる。執着心がなくなったといえば聞こえはよいが、アラカンになるとドーパミンもリビドーもアドレナリンもすべてアラヘン。

 年のせいには違いないのだが、そうとばかりは言えない気がする。時代のせいかも。エ・アロール?とかアクワボン?と呟かざるを得ないほど、ナンデモアリの汚れちまった御時世なのだから、なんでもしてきたワシらアラカン世代はもうナンもする気がしないわけよ。自慢じゃないが、昔、ワルやったワシはよう遊んだもんや…となかった記憶までが蘇る。

 あらへんリビドーを刺激するためではないが、熟年三人組でディープTokyoツアーに出かけることにした。待ち合わせ場所は新大久保駅改札。こじゃれたカフェバーの立ち並ぶ恵比寿を過ぎて数分…新大久保駅を降りると、そこはようこそアジア・ワールド。聞こえてくるは異国の言葉ばかり。路地を曲がると、ここはバンコク、はたまた上海か? しばらく歩くと、そこは明洞(ミョンドン)かとみまごうばかりのコリア・タウン。

 看板はハングル文字、流れてくるは韓国歌謡、携帯手にしてヨボセヨ、アガシに誘われるままにオヤジ3人韓国食堂になだれ込む。店は繁盛していていっぱいだ。在日のオヤジさんがいる、韓流ファンのアラフォー女性たちがいる、韓国クラブで働くド派手アガシがいる。まずはチャミスルで喉を潤し、キムチ、チジミ、ブルコギ、サンギョプサル…胃だけはまだ青春しているが、メタボ腹は三段バラ肉の三元豚なみ。

 ふと横を見ると熟年探検隊のマッチマ先輩はこっくりこっくり夢の中〜。熟年若衆のトニーと「誰がこんな日本にしちまったのか」という高尚な議論が始まる。昔のワシなら、「なにゆうてんねん、日本をワルしたんはお前ら広告屋やろがぁ〜!ボケオンドリャドツイタンデェ!」となるのだが、なんせドーパミンもリビドーもアドレナリンもすべてアラヘン。禁煙パイポ咥えて、アジアの謎の微笑で余裕綽々、好き好き爺の好々爺ぶり。

 私が韓国と出会ったのはパルパル(88年オリンピック)の前だった。まだ普通の市民がパスポートも持てない軍事政権時代。戦後、祖国へ戻った在日のオバチャンが、「日本で差別されて、祖国に帰るとパンチョッパリ(半日本人)とまた差別される、ああ、四国に帰りたいよ! アイゴ!」と涙ながらに人生を語ってくれたこともあった。小さなロックハウスのヒッピー店主と意気投合して戒厳令の最中にポジャンマッチャ(屋台)で呑み明かしたこともあった。

 その頃には東京の片隅にこうしたコリア・タウンが出来ることも韓流ブームが来ることなど想像することさえも出来なかった。ごった煮のカオスの中でアジアが沸騰する。いつか、中近東やアフリカ、アラブ、あるいは落ちぶれたアメリカからの難民が押し寄せて、それぞれの民族のコミュニティが東京に作られて、銀座が金満家中国人の歓楽街になるかも。世界と時代は確実に動いている。ただ、もう私のリビドーもドーパミンも、こうした《変化》についていくことは出来ない。

 帰りの山手線の中で、私は考えた。思い出だけを抱えて生きると言うことは心は既に墓の中。Tokyoアジア地帯潜入も私にとってはすべてデジャヴュの世界。いつか見た光景が東京にやってきただけのこと…。昔、遊んだアラカンにはなんとも生き辛い時代になったもんだ…と溜息ついて、狸穴の坂道を上がって、猫が待つ家に向かう。春宵午後拾壱時。
 

金澤黄金週間《莫札特》小夜曲

 投稿者:永瀧達治  投稿日:2009年 4月30日(木)14時23分34秒
   家人の叙勲騒動などがあり、しばらく東京に戻って(行って)いたが、黄金週間を前に金澤に戻って来た。20年ほど前から、この季節は加賀、あるいは金澤と北陸で過ごしているが、普段は雨の多い、此の地に於いて、黄金週間だけは雨になったことがない。

 快晴の金澤では今、La Folle Journee ラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)が開催中。「ラ・フォル・ジュルネ」とはもともとフランスのナント市で街の活性化のために始まったクラシック音楽の大イベントであるが、世界各地に波及して、現在、日本では東京と金沢で開催されている。
 7日間で150公演ものモーツァルト関連コンサートが金沢周辺で繰り広げられるのだ。

 「熱狂の日」という日本語タイトルが付いているが、正確には「狂った一日」だ。狂う、ということがタブーではなく、常軌を逸することが芸術家の誇りであり、フツー常識の中からは何も生まれないという極めてフランス的なるタイトルだ。
 ただ、最近のアートシーンの中には狂ったように見せかけて実に計算高い自意識過剰の輩も数多いので注意しなくてはならないが…。

 ナント市での仕掛人プロデューサーのルネ・マルタン氏は「ラ・フォル・ジュルネ」をクラシック音楽の民主化運動と位置づけながらも、重要なことはエスプリ、つまりコンセプトにおける精神だと力説する。このイベントの広がり方と、そのエスプリを聞けば聞くほど、こうした文化イベントはフランスでしか生まれ得ないシステムだと気が付く。
 昔はSOSラシズム(人種差別反対団体)のロック・コンサートなどを取材したりしたが、フランスはあらゆる社会問題への連帯を文化活動に結びつける。個人主義の国なのに、社会問題に関しては《連帯》が大好きで、社会を変える力とは《文化》以外にないと考えている。
 ナントは造船業などが衰退し、斜陽の街だった。それが市民レベルでのさまざまな文化活動の仕掛によって、街が活気を取り戻し、再生した。

 そんなイベントが去年から金沢で黄金週間に行われているのだが、今年のテーマはモーツァルト(中国語で書くと《莫札特》らしい)。ガラ・コンサート、オープニング・コンサートやレセプションなどに招かれて行ったが、行政、メディア、経済界、市民団体など街や県が一体化となって、このイベントに協力している。金沢全体が「ラ・フォル・ジュルネ」色に染まっているのだ。

 東京でも開催されているが、たとえ何万人集めようと、東京では街の規模が大き過ぎて、「ラ・フォル・ジュルネ」も雑多なイベントの《ワン・オブ・ゼム》に過ぎず、その裏にあるエスプリを伝えることは出来ない。そのことはグローバリズムや大国主義と同じ論理であり、ある一定の大きさを越えた瞬間に、物事の上澄みだけしか流れなくなる。社会や国の《バカ化》が始まるのだ。
 採算を度外視すると、「ラ・フォル・ジュルネ」のようなイベントは東京で開催する意味はまったくないと私は思う。

 金沢でなくとも、どこの地方でも同じことかもしれないが、地方から日本のメディアや文化を眺めてみると、情報はあまりにも東京に偏り過ぎている。しかも、キー局を中心とした巨大メディアは東京の絶対多数を対象とした情報ばかりが持て囃されるので、結果として、地方は「東京からのバカ情報」ばかりに支配されることになる。地方のレベルが低いのではなく、東京の低いレベルばかりが地方に垂れ流しされるのだ。
 かくして、日本の地方がすべて《リトル・バカ東京化》して、地方の活性化とは、いかにも東京あたりのバカ広告代理店が考えそうな、お子様向きのキャラクターを考案して日本全国なんちゃってディズニーランド化してしまうのである。著作権を無視して暴走する中国を笑えないほどのお寒い日本の文化状況だと思うのだが。

 昔、フランス在住のとあるマダム・ジャポネーズが「日本は《民度》が低い」と、私でさえも口にするには少々躊躇を要する「真実」を軽やかに断言していたが、私が金沢に惹かれるひとつの理由が、最近、わかってきた。金沢は《民度》が高いのである。

 今、金沢の街角には《莫札特的小夜曲》、アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク、Une petite musique de nuitが流れている。
 

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