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人間(ワシの?)の記憶構造には奇妙なことがたくさんある。
たとえば、今の季節で言えば「アジサイ」が問題だ。なぜか、私にはアジサイに関する関連性の糸がこんがらがっている。草花の名前には人一倍疎い私だが、チューリップやバラと同様にアジサイの花は知っている。さらに、それを「紫陽花」と漢字で書くことも、仏語で「オルタンシア」ということも知っている。
ところが、「知っている」はずなのに実際に花を目にするとき、「アジサイ」という言葉が思い浮かばずに、「ナンダッケ?」状態になり、シヨウカ(紫陽花)という漢字だけが頭に浮かぶことがある。もちろん、「シヨウカ」などと読まないことはわかっているが、その読みがでてこないのだ。あるいは「オルタンシア」と仏語が飛び出すが、日本語で何というのだっけ?とわからなくなる。その逆もある。「アジサイ」が出て来るのに漢字も仏語も出てこない…。
単なるど忘れとか、年のせいのボケでもない。若い頃から、私は「アジサイ」が苦手だったのだ。記憶構造の中で、「アジサイ」や「紫陽花」や「オルタンシア」といった言葉の相互リンクに何らかの支障をきたしていて、それを何度学習しても修正できないのだ。
アジサイは先日気がついたほんの小さな例えに過ぎないのだが、花の名前だけでなく、人間を相手にすると、これがかなり重症だ。さらに、記憶を時系列で整理する能力がない。ひどいのは過去のある時代がブロックごと喪失。まだら模様の記憶を取り戻そうとすると、とてつもない不安感に襲われる。
そうは言っても、見た目には「フツー」の暮らしをしているわけだから、たぶん私が特別なのではなく、みんな多少なりとも、そうだと思うのだが、還暦を迎えてもなお、こうした「どうしようもない自分」を抱えて生きていくというのは大変なことである。
記憶問題とは少々異なるが、「どうしようもない自分」と依存症が重なった結果、実は2週間ほど前に半年も続いていた「禁煙」を「解禁」してしまった。
どんなに言い訳をしようと、それはよくある禁煙失敗談に過ぎないので、ここにくどくどと書き連ねることはしないが、いくつかわかったことがある。
まず、自分がかなり重度のニコチン中毒であること。脳の一部機能を損傷してしまうような煙草はやめられるならば、やめたほうがよいということ。それを認めたうえで、半年以上の先が見えない禁断症状の苦しさをQOL(人生の質)問題にすりかえてしまった…。
恐ろしいもので、半年もの間、完全に禁煙していたにもかかわらず、行き詰った原稿仕事のため、ほんの一時的のつもりで「解禁」した瞬間、「この半年はいったいナンだったのか?」と思えるほどに、何の違和感も特別な刺激も喜びも挫折感もなく、ごく自然に半年前のペースに戻ってしまった。同時に気分にも精神にも、あの失われた日常の高揚感が戻ってきた。もちろん、行き詰った原稿も無事に校了。
そこで私が編み出した「言い訳」がクォリティ・オブ・ライフなのだ。
ま、そんなわけで、相変わらずの「どうしようもない自分」を抱えて、再び紫煙を燻らせながら迫り来る還暦を迎えようとしております。
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