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紫陽花混濁哀歌

 投稿者:永瀧達治  投稿日:2009年 6月27日(土)12時03分22秒
   人間(ワシの?)の記憶構造には奇妙なことがたくさんある。

 たとえば、今の季節で言えば「アジサイ」が問題だ。なぜか、私にはアジサイに関する関連性の糸がこんがらがっている。草花の名前には人一倍疎い私だが、チューリップやバラと同様にアジサイの花は知っている。さらに、それを「紫陽花」と漢字で書くことも、仏語で「オルタンシア」ということも知っている。

 ところが、「知っている」はずなのに実際に花を目にするとき、「アジサイ」という言葉が思い浮かばずに、「ナンダッケ?」状態になり、シヨウカ(紫陽花)という漢字だけが頭に浮かぶことがある。もちろん、「シヨウカ」などと読まないことはわかっているが、その読みがでてこないのだ。あるいは「オルタンシア」と仏語が飛び出すが、日本語で何というのだっけ?とわからなくなる。その逆もある。「アジサイ」が出て来るのに漢字も仏語も出てこない…。

 単なるど忘れとか、年のせいのボケでもない。若い頃から、私は「アジサイ」が苦手だったのだ。記憶構造の中で、「アジサイ」や「紫陽花」や「オルタンシア」といった言葉の相互リンクに何らかの支障をきたしていて、それを何度学習しても修正できないのだ。

 アジサイは先日気がついたほんの小さな例えに過ぎないのだが、花の名前だけでなく、人間を相手にすると、これがかなり重症だ。さらに、記憶を時系列で整理する能力がない。ひどいのは過去のある時代がブロックごと喪失。まだら模様の記憶を取り戻そうとすると、とてつもない不安感に襲われる。

 そうは言っても、見た目には「フツー」の暮らしをしているわけだから、たぶん私が特別なのではなく、みんな多少なりとも、そうだと思うのだが、還暦を迎えてもなお、こうした「どうしようもない自分」を抱えて生きていくというのは大変なことである。

 記憶問題とは少々異なるが、「どうしようもない自分」と依存症が重なった結果、実は2週間ほど前に半年も続いていた「禁煙」を「解禁」してしまった。
 どんなに言い訳をしようと、それはよくある禁煙失敗談に過ぎないので、ここにくどくどと書き連ねることはしないが、いくつかわかったことがある。
 まず、自分がかなり重度のニコチン中毒であること。脳の一部機能を損傷してしまうような煙草はやめられるならば、やめたほうがよいということ。それを認めたうえで、半年以上の先が見えない禁断症状の苦しさをQOL(人生の質)問題にすりかえてしまった…。

 恐ろしいもので、半年もの間、完全に禁煙していたにもかかわらず、行き詰った原稿仕事のため、ほんの一時的のつもりで「解禁」した瞬間、「この半年はいったいナンだったのか?」と思えるほどに、何の違和感も特別な刺激も喜びも挫折感もなく、ごく自然に半年前のペースに戻ってしまった。同時に気分にも精神にも、あの失われた日常の高揚感が戻ってきた。もちろん、行き詰った原稿も無事に校了。

 そこで私が編み出した「言い訳」がクォリティ・オブ・ライフなのだ。

 ま、そんなわけで、相変わらずの「どうしようもない自分」を抱えて、再び紫煙を燻らせながら迫り来る還暦を迎えようとしております。
 

凄まじい話をさらりと語る男。

 投稿者:永瀧達治  投稿日:2009年 6月10日(水)15時28分35秒
   ある男の話。

「わし、今年で(某大手企業を)還暦で定年になるが、わしの会社で定年まで勤め上げたのは珍しいんや。まあ、ほとんどが定年前で肩たたきやリストラで辞めているちゅうか、辞めさせられている。しかもやで、そのほとんどを人事部一筋やったわしが辞めさせてるんや。ずいぶんたくさんの人がわしを恨んでいると思うで。なにしろ、千人を超えるぐらいの人を辞めさせたからなあ。そのわしが定年まで勤め上げて、恨まれてるやろうなあ。
 わしは通勤の電車でも、ホームの最前列には絶対に立たないようにしているんや。首を切った人間はみんなわしの顔を知っているやろ、いつ何時、ホームから突き落とされるかわからんからなあ。恐くてホームの前のほうには立てないよ(笑)」

 と、言った男が、しばらくして小学校の頃の思い出話を始める。

「あの頃なあ、学校にひとり色の黒い混血児の女の子がいたんやが、わしら、よう苛めたわ。いまから思ったら、すごい心に傷つけたと思うけど、わしら子どもやったから、ようわからんかったやろ。それから、在日のやつらにも『お前ら国へ帰れ!』ゆうて、苛めてたなあ。今と違って、そういうことは学校で教えられなかった時代だから、わしら、それが悪いことと知らんかったからなあ」

 さらに、続けて

「でも、今でもサッカーや野球の試合なんかあると、韓国や朝鮮だけには負けるなと応援している。あいつらよりも格下とか、弱いというのは考えられないからな…まあ、まだ自分に差別の気持ちがあるんやろなあ。この間、そんな話を在日の人に話したら、『あなたは正直だ』と言ってくれたよ。みんな、そう思っているのに口に出さないからね。
 娘がそういう人間と結婚すると言ったら、絶対にやめさせるね。まあ、相手がタイガー・ウッズだったら別やろうけど」

 さらに、

「わしは自慢やないが、今まで60年間、包丁なんか持ったこともないし、台所に立ったこともないし、買物に行ったこともない。単身赴任してたときがあるが、全部、外食やった。わしらの時代は男が料理なんかするなという教育やったからなあ。
(同じ年配だが、私はそんな教育は受けていない。料理もするし、市場が大好きだと口を挟むが、あなたは特別だと意に介しない)
 定年になっても、女房と温泉旅行なんか、考えられんな。三分以上、一緒にいたら、話すことなんか何もないやろ。女房は今、水泳に夢中で、年齢別部門とかで優勝したり、海外の大会へ行ったりしているが、わしも娘らも応援になんか一度も行ったことない。うちはみんな自由だからね」

 この男にとって、還暦までの人生とは何だったのだろうか?
 

アントワーヌが金沢にやってきた…らしい。

 投稿者:永瀧達治  投稿日:2009年 6月 2日(火)07時27分39秒
   金澤を暫く留守にして帰って来ると当地の日佛協会の某婦人が血相を変へてかふ言いに来た。

「先週、電話したがぁ、金沢におらんかったやろ。アントワーヌちゃらゆうて元歌手やとかゆう人が、おいでになってな、なんやらフランスではえれえ有名な人らしゅうて、そんならあんたに聞こうと思とったんや。会うて食事したんやが、65歳やとかゆうとったが髭はやして、《ウミヲヨゴシテハイケマセン》なんて覚えたての日本語で言う変な人やったけど、あんた知っとるけ? アントワーヌ?」

 あの《アントワーヌ》に違いない。苗字がなくて、よくある名前のアントワーヌだけ。元祖イチローみたいなもんじゃ、ちゃうか。ちなみに手元のシャンソン辞典を調べてみると、1944年生まれなので、ぴったり今年65歳だ。間違いないぞ。

 80−90年代だったか、ヨットで世界を放浪していると噂を聞いた。その後、時折、フランスのTVで見たような気もする。あのアントワーヌなら、ぶらりと突然、金澤に現れても不思議ではなかろう。いやあ、アントワーヌなら会ってみたかったなあ。

 アントワーヌは1960年代に長髪ヒッピースタイルのフォークシンガーで、いわばフランスのボブ・ディラン。プロテスト・ソングで社会批判も鋭く、同時に当時のアイドルでもあった。日本で言えばさしずめ吉田拓郎なのか。

 80年代から90年代にかけて、人種差別反対のSOSラシズムという組織が「オレのダチに手を出すな」touchez pas a mon pote というキャンペーンをやっていたが、アントワーヌはそれをもじって、「海に手を出すな!」touchez pas  a la mer という海洋環境保護キャンペーンを繰り広げている。彼のオフィシャルHPを覗いてみると、5月にグアムでの記載があるので、その後、日本に立ち寄ったと思われる。

 五月革命の立役者だった《赤毛のダニー》ことダニエル・コンベンディクトは今やドイツの緑の党でEU議員、フレンチ・ブルースの元祖で、数年前に麦畑で猟銃自殺したニノ・フェレールも環境問題にのめりこんでいた。そして、60年代の反逆児アントワーヌも。ヨーロッパでの現代の《良心の反体制》はエコ(環境問題)のようだ。

 フランスの《アンチ・コンフォルミスト》たちは環境・エコを通じて、まだまだ意気軒昂。

 ところで、私の身の回りには、いわゆるエコ・バッグと言われるものが十個近くある。買ったものは一つもない。全部、企業の《エコ宣伝》の無料グッズだ。捨てたり人にあげたものもあるので、溜め込んでいたら20以上になっていただろう。レジ袋をなくすことによる《エコ効果》とエコ・バッグを大量に作る《ゴミ生産》を比較すると、ほんまにエコかいな?

 日本のエコは、なんとなく企業の利益誘導キャンペーンに利用されている気がしてならない。エコがマンガやダイエットなどと同様にひとつのブームなのだ。そして、体制がブームを利用する。そもそも《体制》とか《反体制》などという言葉も死語か、団塊サヨクの口癖として嘲笑の対象。

 サブ・カルチャーから環境問題まで、すべて国家や企業という管理する側(体制)のオフィシャル・グッズとして認知されてしまうシステム。その異常さと恐ろしさ。
 アーチストがテレビ広告でラーメンやビールを手に持ち笑顔を見せ、ロック・シンガーがバラエティショーで道徳を語り、政府が「マンガは日本が誇る世界の文化だ」と胸を張る。なんかちゃうやろ、どっかまちごうてへんか?

 かくいふ私は…禁煙と中古のプリウスで世界の環境問題と闘っている! ちゃうか。
 

我ら熟年探検隊 〜Tokyoアジア地帯潜入記〜

 投稿者:永瀧達治  投稿日:2009年 5月23日(土)12時20分6秒
   とあるテレビ番組への夫婦出演の収録もあって、今月はいつもより早い目に東京へ戻る。若い頃ならカッコをつけて「そないにこっぱずかしいもんでれるかいな」と啖呵を斬っていたものだが、アラカンになると、そないなことはもうどうでもよくなる。執着心がなくなったといえば聞こえはよいが、アラカンになるとドーパミンもリビドーもアドレナリンもすべてアラヘン。

 年のせいには違いないのだが、そうとばかりは言えない気がする。時代のせいかも。エ・アロール?とかアクワボン?と呟かざるを得ないほど、ナンデモアリの汚れちまった御時世なのだから、なんでもしてきたワシらアラカン世代はもうナンもする気がしないわけよ。自慢じゃないが、昔、ワルやったワシはよう遊んだもんや…となかった記憶までが蘇る。

 あらへんリビドーを刺激するためではないが、熟年三人組でディープTokyoツアーに出かけることにした。待ち合わせ場所は新大久保駅改札。こじゃれたカフェバーの立ち並ぶ恵比寿を過ぎて数分…新大久保駅を降りると、そこはようこそアジア・ワールド。聞こえてくるは異国の言葉ばかり。路地を曲がると、ここはバンコク、はたまた上海か? しばらく歩くと、そこは明洞(ミョンドン)かとみまごうばかりのコリア・タウン。

 看板はハングル文字、流れてくるは韓国歌謡、携帯手にしてヨボセヨ、アガシに誘われるままにオヤジ3人韓国食堂になだれ込む。店は繁盛していていっぱいだ。在日のオヤジさんがいる、韓流ファンのアラフォー女性たちがいる、韓国クラブで働くド派手アガシがいる。まずはチャミスルで喉を潤し、キムチ、チジミ、ブルコギ、サンギョプサル…胃だけはまだ青春しているが、メタボ腹は三段バラ肉の三元豚なみ。

 ふと横を見ると熟年探検隊のマッチマ先輩はこっくりこっくり夢の中〜。熟年若衆のトニーと「誰がこんな日本にしちまったのか」という高尚な議論が始まる。昔のワシなら、「なにゆうてんねん、日本をワルしたんはお前ら広告屋やろがぁ〜!ボケオンドリャドツイタンデェ!」となるのだが、なんせドーパミンもリビドーもアドレナリンもすべてアラヘン。禁煙パイポ咥えて、アジアの謎の微笑で余裕綽々、好き好き爺の好々爺ぶり。

 私が韓国と出会ったのはパルパル(88年オリンピック)の前だった。まだ普通の市民がパスポートも持てない軍事政権時代。戦後、祖国へ戻った在日のオバチャンが、「日本で差別されて、祖国に帰るとパンチョッパリ(半日本人)とまた差別される、ああ、四国に帰りたいよ! アイゴ!」と涙ながらに人生を語ってくれたこともあった。小さなロックハウスのヒッピー店主と意気投合して戒厳令の最中にポジャンマッチャ(屋台)で呑み明かしたこともあった。

 その頃には東京の片隅にこうしたコリア・タウンが出来ることも韓流ブームが来ることなど想像することさえも出来なかった。ごった煮のカオスの中でアジアが沸騰する。いつか、中近東やアフリカ、アラブ、あるいは落ちぶれたアメリカからの難民が押し寄せて、それぞれの民族のコミュニティが東京に作られて、銀座が金満家中国人の歓楽街になるかも。世界と時代は確実に動いている。ただ、もう私のリビドーもドーパミンも、こうした《変化》についていくことは出来ない。

 帰りの山手線の中で、私は考えた。思い出だけを抱えて生きると言うことは心は既に墓の中。Tokyoアジア地帯潜入も私にとってはすべてデジャヴュの世界。いつか見た光景が東京にやってきただけのこと…。昔、遊んだアラカンにはなんとも生き辛い時代になったもんだ…と溜息ついて、狸穴の坂道を上がって、猫が待つ家に向かう。春宵午後拾壱時。
 

金澤黄金週間《莫札特》小夜曲

 投稿者:永瀧達治  投稿日:2009年 4月30日(木)14時23分34秒
   家人の叙勲騒動などがあり、しばらく東京に戻って(行って)いたが、黄金週間を前に金澤に戻って来た。20年ほど前から、この季節は加賀、あるいは金澤と北陸で過ごしているが、普段は雨の多い、此の地に於いて、黄金週間だけは雨になったことがない。

 快晴の金澤では今、La Folle Journee ラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)が開催中。「ラ・フォル・ジュルネ」とはもともとフランスのナント市で街の活性化のために始まったクラシック音楽の大イベントであるが、世界各地に波及して、現在、日本では東京と金沢で開催されている。
 7日間で150公演ものモーツァルト関連コンサートが金沢周辺で繰り広げられるのだ。

 「熱狂の日」という日本語タイトルが付いているが、正確には「狂った一日」だ。狂う、ということがタブーではなく、常軌を逸することが芸術家の誇りであり、フツー常識の中からは何も生まれないという極めてフランス的なるタイトルだ。
 ただ、最近のアートシーンの中には狂ったように見せかけて実に計算高い自意識過剰の輩も数多いので注意しなくてはならないが…。

 ナント市での仕掛人プロデューサーのルネ・マルタン氏は「ラ・フォル・ジュルネ」をクラシック音楽の民主化運動と位置づけながらも、重要なことはエスプリ、つまりコンセプトにおける精神だと力説する。このイベントの広がり方と、そのエスプリを聞けば聞くほど、こうした文化イベントはフランスでしか生まれ得ないシステムだと気が付く。
 昔はSOSラシズム(人種差別反対団体)のロック・コンサートなどを取材したりしたが、フランスはあらゆる社会問題への連帯を文化活動に結びつける。個人主義の国なのに、社会問題に関しては《連帯》が大好きで、社会を変える力とは《文化》以外にないと考えている。
 ナントは造船業などが衰退し、斜陽の街だった。それが市民レベルでのさまざまな文化活動の仕掛によって、街が活気を取り戻し、再生した。

 そんなイベントが去年から金沢で黄金週間に行われているのだが、今年のテーマはモーツァルト(中国語で書くと《莫札特》らしい)。ガラ・コンサート、オープニング・コンサートやレセプションなどに招かれて行ったが、行政、メディア、経済界、市民団体など街や県が一体化となって、このイベントに協力している。金沢全体が「ラ・フォル・ジュルネ」色に染まっているのだ。

 東京でも開催されているが、たとえ何万人集めようと、東京では街の規模が大き過ぎて、「ラ・フォル・ジュルネ」も雑多なイベントの《ワン・オブ・ゼム》に過ぎず、その裏にあるエスプリを伝えることは出来ない。そのことはグローバリズムや大国主義と同じ論理であり、ある一定の大きさを越えた瞬間に、物事の上澄みだけしか流れなくなる。社会や国の《バカ化》が始まるのだ。
 採算を度外視すると、「ラ・フォル・ジュルネ」のようなイベントは東京で開催する意味はまったくないと私は思う。

 金沢でなくとも、どこの地方でも同じことかもしれないが、地方から日本のメディアや文化を眺めてみると、情報はあまりにも東京に偏り過ぎている。しかも、キー局を中心とした巨大メディアは東京の絶対多数を対象とした情報ばかりが持て囃されるので、結果として、地方は「東京からのバカ情報」ばかりに支配されることになる。地方のレベルが低いのではなく、東京の低いレベルばかりが地方に垂れ流しされるのだ。
 かくして、日本の地方がすべて《リトル・バカ東京化》して、地方の活性化とは、いかにも東京あたりのバカ広告代理店が考えそうな、お子様向きのキャラクターを考案して日本全国なんちゃってディズニーランド化してしまうのである。著作権を無視して暴走する中国を笑えないほどのお寒い日本の文化状況だと思うのだが。

 昔、フランス在住のとあるマダム・ジャポネーズが「日本は《民度》が低い」と、私でさえも口にするには少々躊躇を要する「真実」を軽やかに断言していたが、私が金沢に惹かれるひとつの理由が、最近、わかってきた。金沢は《民度》が高いのである。

 今、金沢の街角には《莫札特的小夜曲》、アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク、Une petite musique de nuitが流れている。
 

櫻満開金澤艶色春爛漫

 投稿者:永瀧達治  投稿日:2009年 4月13日(月)08時40分25秒
   年に一度、あるかないかの花日和。春のうららに誘われて、書斎抜け出し、二輪車に跨るや、卯辰山櫻の海へ身を投ず。
 山を降り、天神橋の袂から浅野川沿いの櫻を愛でて、百万石通りを横切ると、そこは大手門の壕に沿いたる櫻の名所、白鳥路。噎せる櫻に夫婦鴨。黒門口に二輪車置いて、金澤城内に入る。
 五十間長屋に菱櫓、城は黒白格子模様、下を見やれば薄桃色の櫻満開総天然色。石川門から兼六園への石川橋はもはや櫻の大演舞場。舞台揃うと、羽織袴の新郎に花嫁衣裳の新婦寄り添う姿もありて、めでためでたの艶色の街、金澤の春。
 帰りがけには近江町市場に抜けて、贔屓の鮨屋で海老、蛸、のど黒、鰯など適当に見繕って食す。

 春は既に一週間ほど前からやって来ていたが、まさしくピークに達した感あり。平日というのに遅れた仕事も放り出し、ママチャリ走らせ、街に出てしまった。いたるところ桜満開で、息詰まり眩暈催し、心浮き立ち、禁煙による脳からのドーパミン不足も一時忘れてしまうほど。

 禁煙といえば煙草を断って130日が過ぎた。例のチャンピックスの服用期間12週間プログラムも過ぎて、本来ならば「禁煙成功、おめでとう!」となる筈なのだが、40年の悪癖で、かなり重度のニコチン中毒の私は…そうはいかない。チャンピックスが切れると、以前に体験した激しい禁断症状が始まる。目はトロン、頭呆然、昼を過ぎると睡魔が襲い、何をする気力もなく、かういふときに人と会えば、小さなことで突然、キレそうな自分が恐い。
 さういふ人もいるとかで、保険はきかぬが、チャンピックスを続行してもよいとか。仕事と人間関係は今やチャンピックスなしでは考えられない。服用後、しばらくすると時に激しく躁となるほど、脳からドーパミンが流れ出す。今度はチャンピックス中毒か?

 とある人より、「禁煙なんて、あなたらしくもない。みっともないよ、やめなさい」とお便りをいただいた。余計なお世話なのだが、言い返したい衝動に駆られて、こう返事した。
 私にとって、若き頃、煙草を吸い始めたきっかけは「カッコイイから」の一言に尽きる。アラン・ドロンも、太宰も芥川も、野坂もジャン・ギャバンも…カッコイイ大人たちは、みんな煙草を口にしていた。それから40年。今はどうだ。煙草なんぞ、ちっともカッコよくない。煙草がカッコよかった時代なんて、ゲンスブールと共に消えてしまったのだ。
 最後の女より、捨てるのが楽と言われた(Byゲンスブール)最後の煙草をもっと早く捨てたかったのに、それは最後の女と同じくらい捨て難かった…。
 空港の金魚鉢の中で、あるいは雨の日にレストランの軒先で、寒い夜に招かれた友人宅のベランダで…もはや煙草を吸う行為自体が惨めで情けない。私にとってカッコイイから、カッコ悪くなったので、カッコイイに戻るだけの話。人間、カッコ(スタイル)だけが命なのだ。

 私の禁煙はあくまでも私自身のダンディズム。と言えば、カッコよすぎるか。

 来いよ来いよの誘いと春風に乗って、この季節は各地より友人が金沢にやって来る。
 名古屋から遠縁アラフォ若夫婦もやってきた。彼らにとって初めての金澤体験だったが、私の演出する金澤マジック、その魔力にとりつかれた模様。年増芸者の想い出話を聞きながら梅割り焼酎でチントンシャン。
 数日後、弟分のトニーが東京から仕事でレースクイーンのネエチャンを連れてやってくる。かういふ話にワルは集うもの。トニーからの御指名で悪徳医チバーナも呼ぶ。櫻にゃ、ちと早かったが、ピンク色に染まる金澤の夜ゥ〜。
 その二日後、世界に冠たる冒険家のエレガント猛女ズッキーニがやって来る。ズッキーニの御指名で茶店のマルやん、さらに小唄仲間のガッキも加わり、鮨堪能。ズッキーニ嬢、オヤジ三人に囲まれて幸せな金澤の夜ゥ〜。

 家人帰国し、猫さまお二人お引取りに来金。その夜、東山の茶屋街にて越中富山より来る《八尾おわら流し》の宵が開催されていた。もとより、おわら踊りの振付のお師匠さんが金澤東山在住で、昔から芸妓たちも混じって、此処ひがしの茶屋街で八尾《風の盆》が春に披露されていたとか。
 最初は茶屋《一笑》の二階から眺めていたが、胡弓と三味線の音に踊り手たちが、静なる所作に憂愁の情念を込めて踊り始めると、たまらなくなって下に降りて行った。
 八尾の祭の夜は狭い路地に何万人と集まる大混雑となると聞いて、群衆恐怖症の私はまだ行ったことはないが、ひがしでの春のおわら踊りは程よい混雑。かなりの話題になり始めているので、来年あたりからは観光客も混じって、祭風情も消えてしまわないかと心配。

 金澤のよさは観光といっても個人ツアーが多く、受け入れ側も観光産業に媚びることもなく、小さな町に適度な観光客の人数を保っていることにある。だが、そうは言っても、櫻満開のこの時期の日曜ともなれば、兼六園など立ち寄れるものではない。入り口は渋谷交差点並みの群衆で埋め尽くされる。恐れおののき私など、すぐに退散だ。

 おわら盆を見た後はガッキとブンヤのやっさんと共に、浅野川を渡って主計町の料理屋Kに赴く。食事後は再び、浅野川を渡り、川向こうのTにて狩野派の屏風襖を見ながらのディジェスティフ。帰りは川沿いに夜櫻を眺め、卯辰山を登る。
 春爛漫、こんな日は年に一度あるかないかの金澤の奇跡。
 

南の島でフレンチ・ブロンゼ

 投稿者:永瀧達治  投稿日:2009年 3月31日(火)18時17分48秒
   バリ島のクラブメッドが大掛かりなリニューアルをしたとのことで、御披露目パーティがあるという。五泊ほどのプチ・バカンスを兼ねて南の島へ行ってきた。
 パリやアジアからジャーナリストが招かれて、フランス本社より代表のジスカールデスタン氏(元大統領の息子)も来ていた。
 そもそも、昔々、バリ島クラブメッドのオープニングにも招かれたのだが、それが既に23年前…。

 クラブメッドはフランス資本のリゾート会社。戦後の貧しい時代に米軍の放出テントなどで、庶民が楽しめるバカンス村を始めたのだが、今ではもはやフレンチ・ドリーム《伝説》でもある。

 こちらも今ではフランスを代表する大物映画監督パトリス・ルコントさん、デビュー時代はドタバタ爆笑喜劇映画を撮っていたのだが、その中にブロンゼ(日焼けした連中)シリーズの二作(1978−79年)があって、これが暗にと言うか、かなり直接的に庶民のリゾート、クラブメッドをおちょくったもので、高級リゾートを目指す企業イメージとしては、今も拭いきれないダメージとなっている…そうなのだが、あの映画シリーズによって、クラブメッドが国民的愛着を持たれる企業になったともいえる。
 ルコント監督は28年後の2006年に《ブロンゼ》の第3作目をつくり、フランスでの映画興行成績で1位になったそうだ。ブロンゼ・シリーズは数こそ少ないが、日本の寅さん映画のようにフランスの国民的映画といえるのだ。
 ブロンゼは、もともと《ル・スプランディッド》という喜劇集団の舞台だったのだが、70年代に輝いていた、このLe Splendidという演劇コミック集団が凄い。ミッシェル・ブラン(「他人のそら似」で監督主演本人役)、ジェラール・ジュニョ(あの名作「コーラス」の先生役)、ティエリー・レルミット(あの名作le dinner de con「奇人たちの晩餐会」)、ジョジアーヌ・バラスコ…といった名優を生み出し、さらには、70年代後半には《ル・グラン・オルケストル・ド・スプランディッド》という音楽集団を生み出し、かつて30年代に活躍したレイ・ヴァンチュラ楽団の再来となった…

 つまりはクラブメッドも、ルコントも、ル・スプランディッドも…フランスならではのエスプリとユーモアの系譜に位置しているのだが、こういうエスプリは、まだまだ日本では理解と認知を得ていないようだ。このエスプリこそ、私が日頃、口にする関西フランス同根説の根拠なのだが。

 しかし、話戻るが、デンパサールの空港を降りても、もはやガラム煙草の香りなく、バリ民族衣装も消えて、南国バリの街中はTシャツ&ジーンズばかり。
 この20年、訪れるたびのバリ島の変貌、いや世界の変わりようは目を覆うばかり嘆かわしく、時代に取り残されし私はますます出不精となりて、去年(こぞ)の雪、今は何処と涙する。
 

今夜はシュークルートでも作ろうか

 投稿者:永瀧達治  投稿日:2009年 3月 6日(金)17時18分30秒
   新橋に立ち呑みのフレンチ屋台があると聞かされて、さっそく広告屋のトニーと女冒険家のヅッキーニと連れ立ってUO-KIN(魚金)という店に行く。といっても、ひと月半ぐらい前のことだが。
 店内にはテーブル席が3つばかしあるようだが、あとは立ち席。しかもサラリーマンとOLで超満員押し競饅頭状態。若者が多いが、中には部長とOLの訳有カップルとか、密かに訳有を狙う禿頭とか、ま、とにかくフレンチというより夜の新橋状態。店の外の路地にも小さなテーブルがあって、我々はそこに場を取る。テラスなんてものじゃない路地裏。しかし、メニューはしっかり本格フレンチ。パテもあればコンフィもあるしカスレもある。値段が値段だから(すべて数百円!)なんちゃってフレンチみたいなものもあるが。
 安ワインも結構旨い。話は弾む。いいよね、こういうフレンチも。
 後日、ある政治家に出会ったとき、《日本のフランス料理もここまで来た》という話題で、この話をすると、やにわに秘書を呼びつけて店名をメモさせていた(笑)。えらいさんは結構、こういうB級グルメが好きなのです。『どや、わしってケッコー庶民派やろ、うん?、ガハハ』。
 しかし、これを伝え聞いて、ミゾユウ・アゾウ首相がサルコジ来日の際に『日本の庶民もフランスがジュテームです』なんていって大統領閣下を新橋に連れて行かないでほしい。アゾウならやりかねない。ま、それまでもたないか。

 金沢にて、旨い酒があるからと開業医のチバーナから誘われる。チバーナは私よりずっと年下なのだが、おかしな奴で、妙になついてくれる。最近はなつく女性も少ないので、男でもなつかれると嬉しくほいほいと出かけてしまう。
 食事のあと、主計町の向こう岸に出来た新しい呑み処《輝》に繰り出す。狩野派の襖絵が正面にあり落ち着く店。彼が持ち込んだ酒は「一本義 Le premier rouge」と皇室献上品「梵 超吟」。どちらも福井の酒だ。ワインもそうなのだが、私は名前とか値段とかを覚えようとしない、いや、覚えられない(今回は酔う前にちゃんとメモをしておいた)。旨ければいい、楽しければいい、刹那的で快楽的で怠け者。だが、不思議なことに舌だけには自信がある。おいしかった!
 チバーナは医者のクセに、酒は呑むわタバコは吸うわ(しかも奴は禁煙治療医!)、挙句の果てには禁煙中の私に《禁煙の害》を説き出す悪い奴だ。悪い奴と呑むと話が弾むので、その夜も主計町でハシゴして酩酊。翌日、チバーナから『覚えてらっしゃらないでしょうが、エエ話を聞かせてもらえましたぜ。ウシシ』という嫌なメールが入っていた。これは、『そりゃあいったい何の話だ?』と私に返事をさせて、ではお会いした折に…と次の約束を取ろうとする悪巧みなのである、それを知りつつ『そりゃあいったい何の話だ?』と返事する老獪さ。

 プログラム原稿を頼まれた。この夏にダニー・ブリヤンが日本にやって来るという。といっても、ダニーブリヤンダレヤネン?と言われそうであるが、フランスの歌謡界に君臨する伊達男のスーパースターなのである。
 デビューしたのは18年ほど前のことだが、一時代前の色男のカッコよさをクサイほど誇張した確信犯的ラテン男。しかも、アズナヴールっぽいジャージーなクルーナー。ブラサンスのようなインテリでもなく、ゲンスブールのような挑発もないが、その徹底した庶民的なミーハーのチンピラ兄ちゃんぶりが、限りなくパリの粋に通じるのだ。(ま、Dany Brillantで検索して映像でも捜してみてください)
 そのダニー・ブリヤンが日本のシャンソン界で結構知られているのだ。今回もその関係の招きによるものだが、この現象には実はワシが少し加担している…という昔の自慢話。フランスでデビューしたばかりで、日本では無名だった彼の歌をその頃、私がプロデュースしていた雪村いづみさんのミュゼットのコンサートに取り入れて、ライブアルバムがCDとなった。訳詞を古賀力氏に依頼した『サンジェルマンにおいでよ』である。それが、今では多くのシャンソン歌手に歌われている。

 今夜はシュークルートでも作ろうか。
 明日からは南の島へ逃げるつもり。
 

ジンガロを見たか?

 投稿者:永瀧達治  投稿日:2009年 3月 1日(日)12時24分51秒
   もふそろそろ読む人もいないだろうと思うていると、思いがけずも人から『どうしましたか?』と問われ、そろそろ書かなくては見てみると、おやおやひと月以上も経って、さらに二月は短く書かずに過ぎてしまった。
 手帳を見ながら前回から順を追ってみよう…と思うと、前回の夜…

 1月23日の夜はジンガロのガラ公演に招かれた。いいねえ、とてもよかった、20年前のパリでの強烈な感動を思い出した。ジンガロはチベットでなく、やはりジターヌの世界でなくちゃあ!
 依頼されていた繊研新聞の文化欄(2.14掲載)はジンガロ話で茶を濁す。

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スノッブ:一%の奇跡 〜ジンガロ日本公演〜

 パリにはスノッブが多い。スノッブは日本語では「粋がる」「カッコをつける」などと言われ嫌われる。もちろん、ヨーロッパでもスノッブは「鼻持ちならない」ネガティブな言葉なのであるが、スノッブと言われる当人にとっては「他の連中こそが何もわかっちゃいない」のだ。
 二十年ほど前、パリのスノッブたちの間で話題になっていたひとつのスペクタクルがあった。音楽界からファッション界まで、スノッブが多く棲息する業界のパーティでは『ジンガロを見たか?』が挨拶代わりだった。
 ジンガロとは当時、パリ郊外のテント小屋で始まった騎馬公演だ。単なる馬のサーカスではない。馬と人が織り成すスペクタクルという、それまで存在しなかったジャンルの《見世物》である。当時、まだ若くパリジャンに負けぬほどスノッブだった私がジンガロを見逃すわけがない。すぐに駆けつけた…。
 正直言って、パリのスノッブたちには九九%騙される。まあ、騙されるのを承知で出掛け、帰りがけには騙された振りをして『セ・テ・ジェニア〜ル!(最高だったよ)』なんて鼻母音を使って絶賛し、しばらくしてから親しい友だちには『あれは単なる流行さ』とうそぶくのが一連のスノッブ・プレイなのだ。その頃には《愚かな他の連中が》押しかけているので、もはやスノッブではない。
 ほんと、鼻持ちならない存在だが、スノッブの真骨頂は一%の真実にある。一般的に誰もが見向きもしないであろうマイナー事象の芸術性と娯楽性が重なる奇跡の一%、それが世界に誇るフランス芸術文化の粋となる。つまり、スノッブなくしてフランス文化は存在しないと断言してもよい。
 そしてジンガロはパリのスノッブが紹介した、その一%の奇跡なのだ。
 初めてのジンガロの感動から二〇年。ジンガロが二度目の来日公演をしている。今回の演目は『バトゥータ』。ロマ民族、いわゆるジプシーの生活を描き、躍動感と幻想に満ちた作品だ。前回の来日公演ではチベット仏教の瞑想がテーマだったので、パリのスノッブたちには大受けしたが、ディズニーに飼い慣らされた日本の素直な観衆にはちょっと難解だったかも。今回の来日公演では会場から「スゴイ!」という黄色い声と溜息が渦巻いていたのだから前回以上の成功は間違いない…と思う。
 いずれにしても、ジンガロをまだ見たことのない人は一刻も早く東京都現代美術館に隣接した特設シアターに駆けつけてください。そして、翌日か翌週にパーティなどがあれば『君はジンガロを見たか?』と挨拶代わりに問いかけてみてください。そうすれば、あなたも一流のスノッブ。なにしろ、パリのスノッブの《一%の奇跡》なのですから。スノッブが増えればニッポンも成熟した文化大国になれるかも。
 ほんと「他の連中は何もわかっちゃいない」のですから!
 

思ひ出の川に流され〜

 投稿者:永瀧達治  投稿日:2009年 1月23日(金)15時36分2秒
   なんだかんだと東京・金沢を往復して、慌しい師走と静かな正月も過ぎてしまった。
 友人や家人からは、最近「まだ若いのに年寄りじみたことを口にし過ぎる」と注意されているが、自分としては半分諧謔、金沢での「隠遁プレイ」。
 世の中には必要以上に若さを誇示したり、やたら自己顕示する輩が多過ぎる。せめて自分はさうしたはしたなきことはすまいと思いつつ、偏屈者の習性で隠遁遊びをしているつもり。
 ま、確かに必要以上の仕事をしなくなって(出来なくなって)、遊びのつもりの隠遁が、日常化する懸念もないわけではないが…。
 必要最低限の仕事と言っても、「隠遁プレイ」のしわ寄せで月の中旬から後半は雑務に追われるハメになる。ままならぬもの。

 実は完全禁煙をして50日を過ぎた。ガムやパッチで少量のニコチンを摂取しながら禁煙するのではなく、今回は主治医の勧めで「チャンピックス」という新薬を使っている。
 私のような強度のニコチン中毒者は脳内の伝達回路がすべてニコチンに依存しているので、へたに禁煙すると、3ヶ月たっても、終日強烈な眠気を催し、コミュニケーション能力はゼロ、完全に廃人化してしまうほどの禁断症状が現れる。
 だが、今回の薬はニコチンを補いながらではなく、脳内にドーパミンを送り込みながら、ニコチンの禁断症状を和らげるものだそうで、同時に煙草が不味くなる、吸いたくなくなる効果もあるらしい。とにかく、四年ほど前に経験した(死にそうだった!)ほど精神バランスをひどく崩すこともなく、何とか持ちこたえている。

 その薬が脳内にドーパミンを送り込むせいか、服用以降、毎晩、毎晩、支離滅裂な夢を見る。楽しい夢もあれば、思い出したくない夢もある。医者から「楽しい夢が見られますよ」と言われたときに、不埒な私は夜な夜な美女が登場するエロティックな夢を楽しみにしていたのだが、その手の夢がない。残念なことである。
 実は健全な精神を持っている私の本質なのか、それとも単に年老いて欲望が枯れただけなのか、それはわからない。

 そんなわけで、初夢は「しまった!、吸ってしまった!」と煙草を一本手にしていた夢。

 禁煙をすると煙草代が浮く。その浮いた金で少し余計に呑めるのだ…。
 今年は私の五回目の丑年。つまりは還暦。映画館などシニア料金なのだ。その浮いた金で少し余計に呑めるのだ…。
 禁煙パイポを口にしながら、「残された快楽は、もはや呑むことだけか…」と呟く私。

 ゲンスブールの遺作映画「スタン・ザ・フラッシャー」で強烈な露出狂スタン役を演じた監督・プロデューサーのクロード・ベリが死んでしまった。
 ピアフ映画が成功して以来、伝記映画が大流行のフランス映画界では、セルジュ・ゲンスブールの伝記映画が製作されているという。
 時代は変わった。
《私たちの時代》が煙草と共に思い出の川にゆっくりと流されてゆく。
 

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